格闘技PRESSBACK NUMBER
三沢光晴さんへの思いを込めて――。
ノア齋藤彰俊が放つバックドロップ。
posted2020/06/15 19:50
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph by
PRO-WRESTLING NOAH
試合終盤。プロレスラー・齋藤彰俊は勝負に出た。
ダメージにふらつく王者、潮崎豪の背後に回り、天を指さす。
相手のわきの下に入る形で抱え上げ、高々と持ち上げる。
そのまま後方へ向け、後頭部からマットへとたたきつける。
バックドロップ。ファンならずとも誰もが知る技。そして齋藤にとって、プロレスリング・ノアのファンにとって「特別」な技。
受け身の天才と呼ばれた三沢光晴さんが、その生前、最後に受けた技。
あの日から、これを決めるたびに祈らずにはいられない。お互い矛盾しあう、それでいてどちらも心からの祈り。
「これで決まってくれ」
「立ち上がってくれ」
14日に放送された、プロレスリング・ノアのGHCヘビー級選手権試合。無観客のリングに、レフェリーがマットをたたいてカウントする声が響いた。
リングに上がれるだけ恵まれている。
コロナ禍は、あらゆるスポーツ興行にも影を落とした。
プロレスもしかり。プロレスリング・ノアは3月末から、会場に観客を入れず、ネット中継で観戦してもらう形に切り替えた。
「最初はとにかく、無観客で行う試合の難しさを感じました。無機質、と言いますか……」
齋藤はそう振り返る。
他のプロ競技以上に、プロレスは観客の声援、反応と切っても切れないところがある。
戦って、勝つだけではない。戦う姿勢を通して伝わるメッセージがあるのがプロレスだ。そして、それに対する反応と声援に背中を押されることで、レスラーは何度でも立ち上がる。戦い続けられる。
「そこへいくと、無観客というのは温度や波長が伝わりにくい。プロレスは選手から伝えたいもの、お客さんから伝わってくるものの両方があってこそ、試合のボルテージも上がるのですが……」
自分のメッセージが、意図通りに伝わっているか、分からない。
深く迷いながら、それでも齋藤は戦った。それは「リングに上がれるだけ恵まれている」という自覚があったからだ。
齋藤は一度プロレス界を離れ、しばらく飲食店経営に専念していたという珍しい経歴を持つ。だから、思わずにはいられない。コロナ禍の中、自分よりはるかに大変な思いをしている人々が、世の中にはたくさんいる。
やがて齋藤は、ひとつの答えにたどり着いた。5月下旬。プロレスリング・ノアの最高タイトル、GHCヘビー級のベルトを持つ潮崎に、挑戦状を渡した。
「もっといい状態で、万全の態勢のタイミングで挑戦する、というのが賢いやり方なんだと思います」
月に10試合を重ねていたコロナ禍以前と比べると、試合勘を保つのには難しさもある。
このタイミングで、注目される試合に打って出るのは、リスクの方がはるかに大きい。挑戦者が長期にわたって不在だったことからも、それは明らかだ。
「でも今は、あえて難しい状況でも戦うことに、意義があると思うんです。みんなが苦しい今だからこそ、ヒーローではなく、自分のような人間が手を挙げなければならない」