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15歳カズの指導者や恩人が懐かしむ
跨ぎフェイント、ヘアスタイル秘話。
 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2020/06/12 19:00

15歳カズの指導者や恩人が懐かしむ跨ぎフェイント、ヘアスタイル秘話。<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

カズがサンパウロで行きつけにした理髪店にて。右から2人目が店主の木村光子さん。

フットサルで跨ぎフェイント習得。

――当時の選手としての実力は?

「同年代のブラジル人選手と比べると、テクニックはまずまずだったが、フィジカル能力では格段の差があった。

 当時のジュベントスには、同世代のトップの選手が集まっていたわけじゃない。それでもかなりの差があったから、相当ショックを受けていたようだった」

――ブラジルでは、育成年代ではフットボールと並行して必ずフットサルをやり、テクニックと判断力を磨きますね。カズは、フットサルはどうでしたか?

「日本ではやったことがなかったようだが、一所懸命練習して、メキメキ上達した。彼が得意とする跨ぎフェイントも、フットサルをやっていて覚えたんだ」

――練習態度や意欲はどうでしたか?

「誰よりも練習していたよ。ブラジルで絶対にプロになる、という強い気持ちが感じられた。遠い国からやってきて、健気に頑張っている姿を見て、最初はからかっていた悪童たちが、次第に彼のことをを認めるようになった。

 言葉が少しわかるようになると、皆とすっかり仲良くなり、いたずらをされたらやり返していた(笑)」

若い選手にもカズを見習え、と。

 1984年9月、カズはサンパウロ州内陸部にあるキンゼ・デ・ジャウー(以下、キンゼ)のU-20に加わる。

 キンゼも小クラブだが、選手育成には定評がある。リヨン、バルセロナなどで活躍してブラジル代表に選ばれ、2002年ワールドカップ(W杯)で優勝したDFエジミウソンも、このクラブの出身だ。

 当時の会長パウミーロ氏は、饒舌にカズの思い出を語ってくれた。

――どんな少年でしたか?

「ポルトガル語はまだあまりよくわからなかったが、素直で明るい子だった。みんなから好かれていた」

――練習中の様子は?

「いつも練習場に最初に来て、最後に帰っていた。チーム練習が始まる前も終わってからも、ドリブル、クロス、シュートなどを繰り返し練習していたんだ。絶対にプロになって成功するんだ、と心に決めているようだった」

――その後のカズをどう思いますか?

「名門中の名門サントスでレギュラーとなり、日本へ帰ってからもビッグクラブで活躍し、日本代表にも選ばれて中心選手となり、50歳を過ぎた今でもプレーしているのは本当に素晴らしい。

 我々にとっても、彼のようなクラブのOBがいることはとても誇らしい。若い選手には、『カズは地球の反対側から来て大変な努力をして、あれだけの選手になったんだ。彼を見習え』といつも発破をかけている(笑)」

【次ページ】 「W杯でカズダンスを披露する資格が」

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