熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
15歳カズの指導者や恩人が懐かしむ
跨ぎフェイント、ヘアスタイル秘話。
posted2020/06/12 19:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
7月4日のJ1再開を前に、その奮闘を目撃していたブラジル在住のライター沢田啓明氏に全5回シリーズで記してもらった。第4回はブラジル時代の若きカズを支えた人々に話を聞いた。
「フットボール王国ブラジルで、プロになる」
こう誓って、1982年末、15歳10カ月で地球の反対側へ降り立った。それから3年余り、小クラブの下部組織でがむしゃらに練習に励んだ。
19歳になる2日前、名門サントスと念願のプロ契約を果たす。しかし、出場機会をほどんど与えてもらえず、武者修行のため地方へ――。幾多の試練を乗り越え、選手として、また人間として大きく成長した。
満を持してブラジルのフットボールの最激戦地へ戻り、強豪コリンチャンス相手に初ゴールをあげた。
コリチーバを経て、サントスに再挑戦。今度は絶対的なレギュラーとなり、ブラジル代表に匹敵するレベルに到達した。
そして1990年7月、7年7カ月に及んだ冒険に終止符を打つ。15歳のあどけない少年が23歳の逞しいプロ選手へと変貌を遂げ、Jリーグ開幕前の祖国へ凱旋したのである。
カズのブラジルでの青春時代は、どのようなものだったのか。また当時、現地で触れ合った人々は彼をどう見ていたのか。
到着直後の1984年初めから約1年半、サンパウロ市内のジュベントスのU-17でプロを目指す同世代の若者たちと競い合った。当時、フットサルの監督を務めていたオリヴェイラ氏は、カズのことを今も鮮明に覚えている。
努めて明るく振る舞おうと。
――第一印象は?
「小さくて、ほっそりしていた。遠い外国へ来て不安なことが多かったはずだが、努めて明るく振る舞おうとしていた」
――ポルトガル語は?
「全くできなかった。だから、受け入れたこちらも困ったよ(笑)。何を聞かれても、『シン』(はい)と答える。それで、チームメイトや寮生からよくからかわれていた」
――生活ぶりは?
「クラブが近所の大きな一軒家を借り上げて選手寮にしていて、そこに住んでいた。大部屋の二段ベッドで蚤やダニに体中を食われ、苦しんでいたな。ボリボリ掻くので体中が真っ赤になっていて、それもまたからかいの種になっていた。
日本から持ってきた貴重な所持品を誰かに盗まれ、泣きそうな顔をしていたこともあった」
――食べ物は口に合ったのでしょうか?
「食事に関しては、全く問題なかったようだ。ブラジルの一般的な食事は米(オリーブオイルと塩を入れて鍋で炊く)、ステーキ、野菜サラダ、フェイジョン(インゲン豆をニンニク、胡椒でなどで味付けしてスープ状にしたもの)なんだけど『おいしい』と言って喜んで食べていた」