熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
15歳カズの指導者や恩人が懐かしむ
跨ぎフェイント、ヘアスタイル秘話。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2020/06/12 19:00
カズがサンパウロで行きつけにした理髪店にて。右から2人目が店主の木村光子さん。
「またブラジルに戻ってくるかも」
――1990年7月に日本へ帰る前、カズは何と言っていましたか?
「『おばさん、僕、日本でもやっていけるかな』って私に聞くの。『カズちゃんなら絶対に大丈夫よ』って答えたんだけど、『もし日本でうまく行かなかったら、またブラジルへ戻ってくるかもしれない』なんて言って、少し不安そうだったた。
長いつきあいだったから、私にだけ本音を言ってくれたのかしら」
――カズが日本へ帰ってからも、交流があったようですね。
「ブラジルの永住権を更新するため、2年に一度、サンパウロへ戻ってきて、その度に店へ顔を出してくれた。すごく義理堅いのよ。結婚したときは奥さんを連れてきて、紹介してくれた。本当に嬉しかった」
人間としての核ができた7年7カ月。
10代中頃から20代初めまでの多感な時期を、ブラジルで過ごした。
すべてが異なる国での生活、フットボール王国の巨大な壁、孤独、挫折といった数々の困難に直面した。幾度も絶望を味わい、人知れず涙を流した。
それでも、決して諦めることなく、ひとつひとつ障害を乗り越え、ブラジル人が驚くほどの成功を収めた。このような土台があったからこそ、その後、日本のフットボールの歴史を大きく塗り替えるほどのキャリアを築くことができたのだろう。
ブラジルでの7年7カ月で、カズの選手として、人間としての核が形作られたのは間違いない。
その一方で、彼は地元の人々に忘れがたい印象を刻み付けた。カズにまつわる記憶は、今もブラジルに生き続けている。
(最終回は14日配信予定)