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高橋由伸が松井秀喜を超えていた?
巨人戦が平均20%超えした最後の年。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2020/05/03 20:00
松井秀喜、清原和博、高橋由伸という奇跡的なお立ち台。しかし1999年の由伸の主役感は断トツだった。
巨人戦視聴率の平均20%超はこの年が最後。
さて、早くもメディアスターとなり2年目を迎えた背番号24の1999年シーズン、長嶋巨人は開幕カードで野村克也監督が就任したばかりの阪神といきなり激突。その盛り上がる伝統の一戦で、高橋は球団では王貞治以来の開幕戦満塁アーチを放ち、GT3連戦で3試合連発を含む、12打数7安打、3本塁打、10打点と最高のスタートを切る。
4月は打率.433、8本塁打、29打点で月間MVPを受賞。そして、大型連休最後の5月5日、阪神戦。こどもの日にミスター采配らしいサプライズで、「4番ライト高橋」の巨人軍第66代4番打者が誕生する。そして、誕生日が同年同日の75年4月3日生まれのルーキー上原浩治は、序盤こそ4勝3敗とあまり話題に挙がることはなかったが、5月30日の阪神戦から破竹の15連勝が始まるわけだ。
この時、由伸と上原が24歳、ゴジラ松井もまだ25歳だった。ヤングジャイアンツたちが躍動した'99年巨人戦の年間平均視聴率は「20.3%」。なお巨人戦視聴率が平均20%を超えたのはこの年が最後である。彼らは間違いなく世紀末のチームの希望であり、21世紀の球界の新たな顔だった。
子どもたちの心を掴んでいた由伸。
その中で、対象ファン層も上手く分かれ、長嶋茂雄の愛弟子の松井はおじさん世代、ハングリーな“雑草魂”の上原は同世代の若者、そして、プリンス由伸は圧倒的に子どもたちの人気が高かった。当時の雑誌『小学五年生』1999年10月号の表紙には、「ポケモン金・銀 大速報」「木村拓哉」「SPEED」「滝沢秀明」「ドラゴンアッシュ」といった見出しが確認できるが、メインの表紙写真をひとりで飾るのはヒーロー高橋由伸だ。
取材日の8月中旬時点で打撃三部門すべてリーグ上位につけ、三冠王に挑戦しながら、得点圏打率.394はリーグ1位の勝負強さ。「いざ打席に入るとなにも考えない。むしろ、チャンスの時ほど開き直れることが、いい方向にいってる原因じゃないかと思いますね」なんて笑う本能で軽やかに打つ天才バッター。だが、そんなイメージとは裏腹に実際の背番号24は猛練習を自らに課していた。