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高橋由伸が松井秀喜を超えていた?
巨人戦が平均20%超えした最後の年。 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byKyodo News

posted2020/05/03 20:00

高橋由伸が松井秀喜を超えていた?巨人戦が平均20%超えした最後の年。<Number Web> photograph by Kyodo News

松井秀喜、清原和博、高橋由伸という奇跡的なお立ち台。しかし1999年の由伸の主役感は断トツだった。

妥協なき全力プレー、痛恨の骨折。

 野村克則の自著によると、阪神から巨人へ移籍してきた際に驚いたのが、主力選手の高橋由伸の異常とも思える練習量だった。そんなにやったら壊れてしまうんじゃないかと心配してしまうほど、いつまでもバッティング練習を続ける姿に、巨人の強さを垣間見た気がしたという。

 一方でその妥協なき全力プレーは、常に故障のリスクと隣り合わせだった。'99年9月14日の中日戦、ナゴヤドームで打球を追ってフェンスに激突し、痛恨の鎖骨骨折。シーズン残り17試合を欠場することになる。チームも首位・中日には届かず2位に終わり、背番号24は打撃タイトルも逃してしまう。

 それでもプロ2年目の24歳は118試合で打率.315、34本塁打、98打点、OPS.966という堂々たる成績でベストナインとゴールデングラブ賞に輝いた。個人的には、この年の高橋由伸の人気や注目度は瞬間風速的に、松井秀喜を超えていたと思う。

松井「刺激を受ける存在だと初めて気づいた」。

 ともに引退後の2019年、テレビ東京系『THE怪物アスリート』においてニューヨークでふたりが再会する様子が放送された。

 この中で、松井は'99年の激しいタイトル争いを振り返り、「自分にとって刺激を受ける存在だと初めて気づいた」あのシーズンに、ひとつ年下の後輩をはっきり「ライバル」と認識したという。

 それまで松井は、落合博満や清原和博といった上の世代の大物FA選手たちと4番の座を争ってきた。いわば巨人の若手ではひとり別格の存在。それが、初めて年下の由伸に負ける恐怖を感じたわけだ。

 ともにクリーンナップを組み、ポジションもセンターとライトの隣同士。こいつだけには絶対に負けたくない。ついにチーム内で同世代のライバルに恵まれたゴジラは、この年、自身初の40本台クリアとなる42本塁打を放ち、日本を代表する4番打者へと成長していくことになる。もしかしたら、長嶋監督が松井に課した「4番1000日計画」の最後のピースであり刺客が、高橋由伸だったのかもしれない。

【次ページ】 地上波時代最後のスーパースター。

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