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F1幻のホンダvs.トヨタの優勝争い。
撤退がなければ実現した夢の時間。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byLAT/AFLO

posted2020/04/30 11:50

F1幻のホンダvs.トヨタの優勝争い。撤退がなければ実現した夢の時間。<Number Web> photograph by LAT/AFLO

2009年、ダブルチャンピオンに輝いたブラウンGP。ロス・ブラウンは年間王者に輝いたジェイソン・バトンらと喜びを分かち合った。

開幕まで3週間、ブラウンGPの誕生。

 このままではチームが解散するというとき、立ち上がったのがチーム代表のロス・ブラウンだった。ホンダが正式にチームをブラウンに譲渡し、ブラウンGPが誕生したのは3月5日。開幕まで3週間あまりという、ぎりぎりのタイミングだった。

 ファクトリーにある風洞施設などはF1だけに使用する特殊な機械なので、一般的な評価額がなく、ホンダが自由に設定できたため、売却額はほとんどないに等しい金額で譲渡された。

 ただし、'09年を戦うための運転資金はブラウンが自らスポンサーと交渉し、集めなければならない。最悪、シーズン中に借金を抱えて、チーム経営が破綻するリスクもあった。

 ブラウンはかつてベネトンとフェラーリ時代に、ミハエル・シューマッハとともにチャンピオンに7度も輝いた経験を持つ名伯楽。資金繰りしながらF1活動を続ける必要は、本来はなかった。そのブラウンがリスクを負って、チームを存続させたのは、彼らにはチャンピオンを獲得できる可能性を秘めたF1マシンがあったからだった。

ホンダスタッフも涙した1、2フィニッシュ。

 ブラウンGPが誕生した翌日の3月6日にシェイクダウンした「BGP001」は、前年にホンダの下で開発され、「RA109」として実戦に投入する予定だったマシンだ。この年、F1は技術規則が大きく変更され、勢力図が一変した。その中でBGP001は、レギュレーションの盲点をつくダブルディフューザーという空力的なアドバンテージがあった。そして、そのアドバンテージは開幕戦で1、2フィニッシュという形で見事、結果となって現れた。

 そのレースを、前年までブラウンらとF1活動していたホンダのスタッフも、テレビの画面を通して見ていた。ジェンソン・バトンがトップでチェッカーフラッグを受けたとき、多くのホンダのスタッフが泣いたという。

【次ページ】 撤退ギリギリで踏みとどまったトヨタ。

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