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ルイ・コスタにフィーゴ、ロナウド。
ひ弱なポルトガルが変貌した激闘。 

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吉田治良

吉田治良Jiro Yoshida

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photograph byGetty Images

posted2020/04/19 08:00

ルイ・コスタにフィーゴ、ロナウド。ひ弱なポルトガルが変貌した激闘。<Number Web> photograph by Getty Images

PK戦を終えて歓喜するルイ・コスタらポルトガル代表。“勝てない強豪”から脱皮しかけた瞬間だった。

スコラーリ監督が国民に火をつけた。

 現地で出会った人たちは、スペインやイタリアと同じラテン民族の血が流れているとは思えないほど、おしなべて親切で、真面目で、慎ましやかだった。

 スタジアムの中でも、彼らはお行儀が良かった。国歌斉唱の歌声も対戦相手へのブーイングも控えめで、ゴール裏に巨大な国旗やユニフォームを掲げるような派手な演出もない。開幕戦で伏兵ギリシャに敗れたことも、少なからず開催国のテンションを下げる要因になっていただろう。

 奥底に眠っていたラテンの血がようやく疼き始めるのは、イベリア半島におけるただ2人の姉妹であるスペインをグループステージ最終戦で倒し、辛くもベスト8進出を決めた瞬間だったと思う。

 大人しかった国民を焚き付けたのは、ポルトガル代表を率いるブラジル人監督、ルイス・フェリペ・スコラーリ。2年前の日韓W杯で祖国を世界制覇に導いた名将は、開幕戦を落とした後、「どうか家の窓にポルトガル国旗を掲げて、これまで以上に代表チームをサポートしてほしい」と挙国一致を訴えると、スペインとの大一番の前には「これは戦争だ。負ければ死が待つのみだ」と過激な言葉でチームと国民を煽った。

 一流のモチベーターは、それまでガラス細工のように勝負弱かったポルトガルを、戦う集団へと変貌させた。そして、同時にスコラーリは大胆不敵な策士でもあった。

ルイ・コスタを外して司令塔デコ。

 ロシアとの第2戦では、不甲斐なかったギリシャ戦からスタメン4人を変更。その中には'89、'91年のワールドユース(現U-20W杯)を連覇したゴールデンエイジの生き残り、フェルナンド・コウトとルイ・コスタも含まれていたが、結果的にこの非情の采配が吉と出る。

 新たにリカルド・カルバーリョをCBに、デコを司令塔に抜擢。中盤センターのレギュラーだったマニシェとコスチーニャも含め、ほんのひと月前にチャンピオンズリーグを制したFCポルト勢が中核を占めるようになったチームはその後、初戦とは見違えるようなパフォーマンスを披露し、開催国の面目を保つのだ。

 あるいは最悪のスタートも、スコラ―リにとっては計算済みだったのではないかと、そう勘繰りたくもなる。

【次ページ】 わずか3分でオーウェンに……。

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