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大谷翔平から「頑張ってるね」って。
プロ生活3年、25歳が選んだ再起。
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph byDaiki Tanaka
posted2020/03/29 20:00
1994年5月2日、富山県生まれ。星稜高出身で左の長距離砲であることから「ゴジラ2世」の異名もとった。
森山が選んだ「学び直し」。
「野球を続けるならプロ、それが出来ないなら野球人生に幕を下ろす」
そう決めてトライアウトを受けるも、NPB球団からオファーはなかった。その代わりに独立リーグ球団からのオファーや、保険会社、不動産会社、人材派遣会社、警備会社、建設会社など多くの企業からの採用の誘いがあった。
「トライアウトがダメで、もう野球は辞めようと決意しました。野球以外の誘いを頂く中で、お話を聞けば聞くほど悩みました。今の自分に何ができるのかと。悩んだ末に、再び社会に出る前に学び直したいと思ったんです」
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森山は野球人生に幕を下ろす決断と同時に、企業に就職することも、生活費を得るために生業を作ることも辞めて、「学ぶ」ことを選択した。
「この先、自分が進むべき道を学びながら模索したい。その中で、社会で使える実践的知識やスキル、ノウハウを身につけたいと思いました。大学では単位を取るために授業には出ていましたが、プロ生活の間に知識を忘れてしまっている自分がいました。だから、まずは自分の可能性を広げる為の『学ぶ』時間を作りたいと思いました」
セカンドキャリアの道しるべに。
今年の4月から東京と大阪で、日本では初めてとなるアスリートのセカンドキャリア支援に特化した「日本営業大学」が開校する。森山は、ここに進むことを決めた。
「社会人やビジネスマンとして必要なスキルと時間を提供してくれる受け皿ができたことを知って、入学しようと思いました。おそらく、これから引退を迎える若い選手たちにとっても、僕らが日本営業大学に進んで、新たな道に進む準備を一緒にやってくれる場所があることはとても大きいと思う」
未だ確立されていない、日本のスポーツ界におけるセカンドキャリア支援。アスリートが育んできた力を、引退後の人生にどう生かしていくことができるか。それは日本社会においても、大きな課題となっている。
「野球を辞めた後の人生は、何をもって成功かはわからない。でもビジネスの世界に身を置き、成功できる能力を付けたい。プロの世界をクビになった後輩たちにとって、一つの道しるべのような存在になりたい。そして、5年後、10年後に大谷に『森山、頑張ってるね』って言われたいですね」
就職、転職という人生の第二章を迎える若者が増える春。森山恵佑がプロ野球選手の新たなセカンドキャリアを生み出してくれるかも知れない。