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青山敏弘らも認める広島の新8番。
「川辺駿は、こんなもんじゃない」
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/03/19 11:30
今季からサンフレッチェの「8番」を背負う川辺駿。ボランチでコンビを組むベテラン青山敏弘からも信頼を寄せられている。
広島ユース出身、転機は名波ジュビロ。
広島市出身で、広島のジュニアユースとユースで成長。まさに生え抜きとして早くから期待を一身に浴びてきた川辺は、プロ入り後は紆余曲折のキャリアを過ごしてきた。
広島ユース在籍時の2013年3月、高校3年生になる直前のタイミングでプロ契約。広島がJ1連覇を達成した同年にJリーグデビューを果たし、リーグ戦で計3試合に出場したが、'14年は1試合の出場に終わった。
翌'15年、ジュビロ磐田への期限付き移籍が転機となる。名波浩監督の薫陶を受け、期限を延長しながら計3年間プレーした。1年目のJ2からJ1への復帰に始まり、3年目にはJ1で6位に食い込む上昇曲線の中で、主力として活躍。当時を振り返って「いまの自分のプレーがあるのは、すべて名波さんたちのおかげ」と感謝する貴重な経験を積んだ。
“指定席”を与えなかった城福監督。
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'18年、満を持して広島に復帰。当時の布陣4-4-2の右サイドハーフで開幕当初は先発していたが、やがて控えとなり、リーグ戦33試合に出場したものの、先発出場は12試合にとどまった。'19年はボランチの一角で開幕を迎えたものの、負傷離脱していた青山敏弘と稲垣祥の復帰後は、押し出されるように2シャドーの一角へ。リーグ戦全34試合に先発したとはいえ、満足のいくシーズンとはならなかった。
川辺の広島復帰と同じタイミングで就任した城福監督が振り返る。
「復帰した頃は、彼が思い描いていたような状況ではなかったと思います。私は、ある水準に達するまで指定席をあげるわけではない方法を選んだ。特に1年目は、すごく我慢して過ごしたでしょう。昨年も、もう少し後ろ、ボランチに近い位置でプレーしたかったはずですが、チームの様々な事情に加え、ボランチならば私も守備で高いレベルを要求していました。このプロセスの中で、彼もいろいろ考えただろうと思います」