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超一流商社を辞めて「海のF1」へ。
笠谷勇希がシェアハウスで見る夢。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph bySail GP
posted2020/03/14 08:00
世界で7カ国しか出られないレースに、日本は堂々と名を連ねている。笠谷勇希もそのクルーの一員だ。
浪人して一橋へ、そしてボート部に。
以降、成績は常に学年トップ。「イズコウの星」と呼ばれる一方で、ほとんど友達づきあいもなかったため「変なヤツ」とも思われていたという。
ところが、受験1年目は前期・後期ともに東大受験に失敗。浪人したものの、2年目は前期で東大にまたしても黒星を喫する。3連敗したことで、頭を切り替え、後期は志望校を一橋大商学部に変更。ようやく「桜」が咲いた。
合格した瞬間は、また「なんの目標もない」状態に逆戻りしたが、入学早々、身長180センチを超える体を見込まれ、ボート部から勧誘を受ける。一橋大のボート部は「校技」に指定されていて、大学を代表する厳しいクラブだった。
そんな予備知識はまったくないまま、笠谷は、先輩の「嫌だったら辞めればいいから」の一言で気が楽になり、思わず入部。部員は埼玉県戸田市にある合宿所に入って、毎朝5時に起床し、目の前の戸田漕艇場で朝5時半から8時まで練習をし、それから学校へ行くという生活を繰り返す。ハードな日々だったが、笠谷は、今度は生まれて初めて運動にハマることになる。
三井物産から内定、動機は「今度は海外」。
「受験勉強と同じでした。生まれて初めてやったことなので、やればやっただけうまくなる。やっぱり夢中になりましたね」
大学4年時はシングルスカルでロンドン五輪出場を目指し、最終選考の4人まで残ったが、最後の勝負で4位と破れ夢はかなわなかった。
そのとき、笠谷はすでに総合総社の三井物産から内定をもらっていた。五輪を意識しながら並行して就職活動を行い、商社を5社ほど受験していたのだ。
「大阪を飛び出して東京にきたから、今度は海外だろうと。海外でビジネスをするなら商社だろうという発想ですね」