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超一流商社を辞めて「海のF1」へ。
笠谷勇希がシェアハウスで見る夢。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph bySail GP
posted2020/03/14 08:00
世界で7カ国しか出られないレースに、日本は堂々と名を連ねている。笠谷勇希もそのクルーの一員だ。
ダントツで合格、すぐ会社に辞表。
選考会において、基礎体力がずば抜けていた笠谷は「グラインダー(ウインチを動かすポジション)」要員として、ダントツの成績で合格する。そして、すぐに会社に辞表を提出した。
「自分がこれから本当にどうしたいのか、確認したかったので。もし、これまで自分がただスポーツにすがってきただけなら、それを知った上で、また新たな就職先を探せばいい。でも、本当に1つのスポーツに打ち込みたいんだったら、この状態のままいたら、取り返しのつかないことになる。なので、迷いはまったくありませんでしたね」
会社を辞めたのは2015年12月で、翌2016年1月には、笠谷はすでにバミューダにいた。
――そこに思い描いていたものは、あったのですか?
「ありましたね。ただ、思ってないものもありました。ヨットって、他の競技と違って、船を洗ったり、乾かしたりする作業がすごく大変。あと、まだベース基地もできていなかったので、壁のペンキ塗りとかもやらされたりしました」
そこから訓練と試合の日々は約1年半続いた。ソフトバンク・チーム・ジャパンは結局、アメリカズカップを「準決勝敗退」で終える。同時にチームは解散し、笠谷は無職の身になった。
舞い込んだセールGPの話。
ヨットの世界にずっと関わっていきたいと思い始めていたが、ひとまず、笠谷は国分寺のシェアハウスを借り、そこでスポーツ関係のサービスを提供する小さなビジネスを始めた。5人で行う小規模ビジネスだが、一人暮らしなら十分、生活できるという。
そうして、今後の方向性を探っていたとき、セールGP発足の話が舞い込んだのだ。
アメリカズカップの時、笠谷は実は控えのさらに控え選手だったため、チーム遠征には参加できず、日本開催の福岡大会のとき以外はバミューダで留守役を務めた。しかし、セールGPにおいては昨年、レギュラーとして4カ国5地域を転戦。チームも2位と好成績を収めた。
スポーツに全力で打ち込みながら、世界を飛び回る。ようやく思い描いていた生活を手にした。
「むちゃくちゃ楽しいですよ」