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超一流商社を辞めて「海のF1」へ。
笠谷勇希がシェアハウスで見る夢。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph bySail GP
posted2020/03/14 08:00
世界で7カ国しか出られないレースに、日本は堂々と名を連ねている。笠谷勇希もそのクルーの一員だ。
世界で35人しか味わえないスリル。
F50は今、ワンデザイン(同型)で行われるレースのヨットの中では世界最速である。まだ世界に7艇しか存在しない。その高速艇に乗れる幸せを笠谷はこう表現した。
「コントロールミスでノーズが水に突っ込むと、心臓が止まりそうになる。でも、あのスリリングさを一度味わうと、やめられなくなりますね」
2月28日、シドニーで開幕したセールGPは今年、2年目のシーズンを迎えた。セールGPは今季、日本を含む7カ国で争いながら、これからあと3カ国4地域を回る予定だ。
1艇のクルーは5人。したがって、F50の「心臓が止まりそう」な興奮を味わえる選手は、世界でわずか35人しかいないのだ。
ヨット後進国の日本はハンディキャップとして、2人まで外国籍の選手を乗せることが認められている。そのため、残り3人は日本国籍を所持しているが、うち2人はハーフ。つまり、両親ともに日本人なのは、全クルーの中でも笠谷が唯一だ。
アメリカズカップと並ぶ世界最高峰のヨットレース・セールGPのクルーになれるような選手のほとんどは、幼少期からヨットに親しんできた、いわばヨットエリートだ。
そこへいくと、笠谷の経歴は異色だ。「一橋大から三井物産」という経歴だけを見ると学歴および職歴の超エリートだが、そうしたニオイは一切しない。
「ドラゴン桜」の影響で勉強にハマる。
笠谷は大阪府阪南市で生まれ、高校は「偏差値58くらい」の大阪府立和泉高校に進学した。
「阪南市は大阪のいちばん南、和歌山県との県境にある。関西国際空港よりもさらに南で、ほとんど誰も訪れたりすることがないようなところですね。そんなに勉強をがんばるという雰囲気の地域でもなかった。なんの目標もない子ども時代でしたね」
特に興味のあるスポーツも、文化系クラブもなく、高校時代は帰宅部だった。そんな笠谷の生活を一変させたのは、高校一年の冬に出会ったある人気漫画だった。落ちこぼれ高校の生徒を東大に合格させるベく奮闘するカリスマ教師を描いた『ドラゴン桜』だ。
「あれにもろに影響されちゃいました。東大目指してみようって。それで高1の3学期くらいから受験勉強を始めたんです。部活みたいなもんで、毎日やることが当たり前だった」
学校を終えると毎日、予備校の自習室にこもり、夜10時か11時くらいまで1人で勉強をした。
「夢中になってましたね。スポーツと同じで、反復練習すれば、きちんと目に見える形で成績に現れる。間違えても、そこを修正すればまた点数も上がっていく。初めて目標を持って生きることの楽しさを知りました」