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祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(3)
燃える闘魂の胃袋が、世界を食らう。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/02/28 19:00
「日中友好プロレス大会」を初開催した1990年。朝のランニングの後、屋台に立ち寄って美味しい麺を地元の人達と一緒にすすった。
77歳になっても旺盛な食欲!
猪木は海外へ赴くと、食材の宝庫である地元の市場をめぐることがよくあった。
ニカラグアでは「サンパウロの市場はもっときれいだったよ」と笑いながら市場の人達とやり取りし、若い頃のブラジル時代の思い出を話してくれた。
猪木は、酒宴や食事会を政治的に利用していたわけではない。根っから猪木は食べることが好きなのだ。だから、その国の庶民が日頃使っているような地元の市場にまでわざわざ顔を出して、食材を眺めつつ楽しみ、いろいろその国のことを学んでいたのだ。こと「食べる」ということにおいては、そこに高い料理、安い料理などという区別も無いのである。
「食べることそのものが好き」ということで言えば、こんなこともあった。日本からの長いフライトの後、ニューヨークでランチに何を食べようかという話になった。「中華がいいかな。パストラミのうまいところもあるけれど」と猪木はストレッチ・リムジンの中で思案していた。
そして「いいところがある!」と老舗のホットドック店の名前をリムジンのドライバーに告げた。運転手はまさかの場所にびっくりしたようだったが、リムジンはホットドック店の側に横付けして停まった。
「ここはホットドッグ発祥の地なんだよ」
そう言って猪木は嬉しそうに一般の客と一緒に、オーダーの列に自然に並んだ。ホットドッグを食べた後、店の近くで今度は生ハマグリの売店を見つけると、さっそくバケツ一杯のハマグリを注文して……。
「燃える闘魂」77歳の胃袋は健在か?
読者の皆さんは、「じゃあ喜寿を迎えた今の猪木の胃袋はどうなんだ?」と思われるかもしれないので、ご報告しておく。
今も、焼き肉だってモリモリ食べているし、こないだなんて馬刺しを大皿で食べていた。先日一緒に食べた鍋の時には、好物の具材が売り切れになってしまい残念がっていた。さんざん店の食材を食べ尽くした後に「最後はラーメン入れようよ」とまで言い出して、嬉しそうにペロリと平らげた。
食事中に、お互いに年を取ったと感慨にふける瞬間もあった。でも、やはりこの豪快さそのものが、アントニオ猪木なんだ、と今更ながらに実感できた喜寿の祝いだった。
「猪木さん、次はどこへうまいもの食べに行きましょうか?」