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祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(3)
燃える闘魂の胃袋が、世界を食らう。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/02/28 19:00
「日中友好プロレス大会」を初開催した1990年。朝のランニングの後、屋台に立ち寄って美味しい麺を地元の人達と一緒にすすった。
食事の誘いがきたら……とりあえず断らない!
「今夜、夕食はもういらないね」と、大統領との昼食の帰りの車中で、その尋常ならざる満腹感を猪木と確認しあった。
だがホテルの部屋に戻ると、今度は夕食の誘いの電話だ。
なんと、もうホテルのロビーには迎えの車が来ているという――。
猪木は車中でのさっきの話などなかったかのように、その招待に応じていた。
食事は豪華な和食でたっぷり用意されていた。猪木はそこでも普通以上に食べてみせた。「若い時は食べましたが、最近はそんなに食べないんですよ」と言いながら……。
私はと言えば、せっかくの御招待なのに、ほとんど箸は進まなかった。
同じメニューのフルコースを連続で食べる。
同じようなことは、台湾でもあった。
昼食として、台湾料理が20皿以上も出てくる驚くほどの量の、豪華なフルコースを腹いっぱい食べた。
猪木とマサ斎藤は酒量を競うように紹興酒での乾杯を繰り返していた。猪木が飲めば、斎藤がまた飲む――お互い、こういう勝負には絶対に負けられないのだろう。一歩も譲らぬ雰囲気のまま、次から次へと紹興酒が2人の胃袋に吸い込まれていく。乾杯は延々と続いたが、結局その食事中には決着はつかなかった。
いい気分になって車で一緒にホテルに戻ると、猪木には遅めの昼食の誘いが来ていた。
「昼? もう食べて来たよ」と答えた猪木だったが、重ねて「そう言わずに来てくださいよ」と乞われて、また車に乗り込んだ。
数時間して猪木が戻ってきたので、「どうでした?」と聞いてみた。
「いやあ、参ったよ。さっきと同じ店で、同じメニューだったんだよ」
これには驚くしかなかった。猪木は腹いっぱいの状態でまったく同じフルコースを続けて2回食べたことになる。
猪木の胃袋には勿論びっくりしてしまうが、食事を全部平らげ、浴びるほど酒を飲んでいたはずの男が1時間もしないうちに再び来店したのだから、店の人はさぞかし驚いたことだろう。