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祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(3)
燃える闘魂の胃袋が、世界を食らう。
posted2020/02/28 19:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
NumberWebでは、喜寿を迎えてますます盛んなこのレジェンド・ファイターの数多くのエピソードを、写真家・原悦生の文章で振り返ることで祝辞に代えるべく、コラムを編んでみました。果たして“あの伝説”の真相は何だったのか……。第3回目は「アントニオ猪木、世界を食らう」です。
1990年代はアントニオ猪木の旅についていくことが特に多かった。ブラジルにもよく行った。
「ちょっと昼飯食いに行こうか。大統領に誘われているんだ」
そう言われて、スーツに着替えてホテルのロビーに降りると、猪木は上着も着ていないし、軽装だ。
「たしか大統領って言っていたよな……?」とこちらは首を傾げる。
猪木はそのままの格好で車に乗り込み、その車はリオの海岸を出てひたすら山奥へと2時間ほども走り続けた。ようやく着いたのは、フィゲイレード・ブラジル元大統領の別荘だった。大統領は半袖と短パン姿で出迎えてくれた。
聞くと、1985年に大統領を辞任した後は、この静かな山荘で暮らしているのだという。
元大統領は山の上の方を指さすと「ほら今日も何人かあそこからここを見張っているよ。新聞記者だけどね」と言って笑った。
カストロ同様、政治家はやっぱり新聞記者がお嫌いのようだった。
酒も、肉も、何でも、常軌を逸した量を食らう!
猪木とフィゲイレード大統領は1976年8月の新日本プロレスのブラジル遠征の時に知り合った。
1984年にフィゲレイード大統領が国賓として来日したときに、六本木のレストラン「Anton」で一度会っていたから、筆者が彼と会うのはこれが2度目ということになる。
用意された食事はシュラスコだが……とんでもない量の肉が用意されていた。
次から次へと串に刺さって焼きあがった肉が運ばれてくる。
サトウキビから作られる強い酒“カシャッサ”のグラスを仰ぐ。
「少し弱い酒を」と頼んだカイピリーニャの甘さに、今度はついつい飲み過ぎてしまい……。
猪木と一緒にどのくらい肉を食べ、酒を飲んだのかは覚えていない。延々と休むことなく3時間は食べ続けたから、かなりの量だったはずだ。
元大統領は食事中、陽気に話し続けていたが、食後にはわざわざ別荘にある巨大なワインセラーや馬小屋まで案内してくれた。
歓待の後、猪木は少しハンモックに揺られて昼寝をしてから、元大統領に別れを告げて、また2時間、車に揺られてリオのホテルに戻ったのだった。