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ジーターの殿堂入りに投じた1票と、
19年前に聞いた「涙の電話」。
 

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ナガオ勝司

ナガオ勝司Katsushi Nagao

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photograph byKatsushi Nagao

posted2020/01/29 11:00

ジーターの殿堂入りに投じた1票と、19年前に聞いた「涙の電話」。<Number Web> photograph by Katsushi Nagao

メジャーの殿堂の投票用紙。候補者の中から10人にチェックをつける形式だ。

毎晩泣いて親に電話していた頃。

 淡々とした表情で話すジーターの表情が少しだけ変わったのは、マイナー時代の話になった時だった。

ナガオ あなたは少年時代に憧れたヤンキースから1992年、ドラフト1巡目(全体6位)で指名され、その3年後にメジャーデビューしてます。メジャーでフルシーズンを過ごした初年の1996年には22歳でワールドシリーズ初優勝してますし、今までのプロ野球生活で辛いことなんて、何ひとつなかったんじゃないですか?

ジーター そんなことないよ。ドラフト指名されてすぐにマイナーに行った時なんか、ひどいホームシックにかかって、毎晩、泣きながら両親に電話してたんだから。

 ホームシック? 泣きながら? という部分に過剰に反応してしまい、その言葉をそのまま口にして、再び問いかけると、ジーターは少し恥ずかしそうに視線を泳がせながら、こう続けた。

「だって、僕はそれまで親元を離れたことなんて一度もなかったし、高校を卒業したばかりで自分がプロ野球でどう振る舞っていいのか分からなかったんだから」

 当時のジーターは27歳でメジャー7年目。のちに通算3465本まで積み重ねる安打数の3分の1近くを打っていた「若きリーダー」で、とても初々しかった。

イチローについて、両親について。

 その後メジャーデビューしたばかりのイチローについて尋ねると「まったく油断ならない存在だ」と冗談を飛ばしながらも、「彼が相手だとベースボールがスリリングになる」と最大限のリスペクトを口にする。

 子供の頃の両親の厳しい教育方針については「他のティーンエイジャーと一緒で、僕だって親に従わない瞬間はあった」と素直に漏らしながらも、「彼ら(両親)は僕のことをいつも信頼していたし、僕に理解できないことがあった時は、理解できるまで根気よく諭し続けてくれた」とこれまたリスペクトを見せる。

 最後の質問が何だったかは覚えていないが、「他に何かあるかい?」と彼がこちらを気遣ったことで、インタビューは終わった。

【次ページ】 2001年にはヤンキースの顔だった。

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デレク・ジーター
ニューヨーク・ヤンキース

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