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ピレスが語る、あの時のアーセナル。
ベンゲルの日本式指導と最高の仲間。
posted2020/01/26 11:00
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Wakatake
現役引退から約4年。子どもたちの指導のために来日したロベール・ピレスは、千葉県幕張のグラウンドで時に身を乗り出して熱のこもった指導を繰り返していた。
アーセナルに黄金期をもたらしたレジェンドの「ビエン」の声に、子どもたちも目を輝かせる。外見は少し丸みを帯びたようにも映るが、時折見せる華麗なボール捌きは現役時代と重なる。
2003-04シーズンに無敗優勝を果たした“インビンシブルズ”の中でも、長短のパスで攻撃にスイッチを入れるピレスは替えが利かない存在だった。MFながら14得点を挙げ、MVP級の活躍を見せたことは多くの“グーナー”が記憶しているはずだ。インドでのプレーを最後に引退後はアーセナルのフロント入りし、指導者としての道も歩み始めている。
アーセン・ベンゲルの薫陶を受け、独特の感性と観察眼を培ってきたピレスがアーセナルの栄光時代と現在について余すことなく明かした。
アーセナルの日々はサッカー人生のすべて。
――引退後、どんな日常を過ごしているのですか?
「今はアーセナルに戻り、アンバサダーとしてクラブで活動しているよ。時に解説者の仕事を受けることもある。ただ、普段はトップチームのトレーニングを見ている。特に怪我をした選手と一緒にトレーニングをしたり、多くの時間を過ごしているんだ」
――アーセナルでは多くのものを勝ち取りました。クラブで過ごした時間というのは、後のサッカー人生にどのような影響を及ぼしましたか。
「私にとってアーセナルで過ごしたキャリアというのは、非常に素晴らしいものだった。優勝も経験できたし、ベンゲルや優れたチームメイトと過ごした時間が私を成長させた。アーセナルでの日々というのは、私のサッカー人生のすべてと言っても大袈裟ではない。それほどあの時代に勝ちとったものは非常に大きかったんだ」
――加入当初こそ適応に苦しんだ面もあったように感じますが、チームの黄金期にとっては欠かせない存在になりました。
「どんな選手であれ、クラブを移るというのは難しいことだ。特にアーセナルはベンゲルという偉大な指揮官のもと、大きく変わろうとしていたタイミングだった。今振り返ってみても、当時のアーセナルのフットボールは非常に前衛的だったと思うね。私の場合、ティエリ(・アンリ)や(パトリック・)ヴィエラ、シルヴァン(・ヴィルトール)と多くのフランス人のチームメイトがいたことに助けられた」