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五輪世代のヤンチャ坊主・邦本宜裕。
復活を支えた韓国のヤンキー先生。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byGetty Images
posted2020/01/15 11:50
日本でかなりヤンチャだった邦本宜裕。元慶南FC監督のキム・ジョンブ氏のもとでチームのエースにまで育った。
邦本を支えた「ヤンキー先生」。
慶南にテスト入団後、通訳なしでの暮らしが始まった。「ひとりでコンビニに水すら買いに行けない。銀行に行っても韓国語で話しかけられ、自分のお金すらおろせなかったんです」
そこで、気づいた。
「韓国に行くと、言葉も通じない。そういう状況に身を置いて、自分が自分をアピールできるのはサッカーしかない。そうやって周りから信用されていこうという考えを持つようになったわけです」
もうひとつ、邦本を支えたのが「ヤンキー先生」とも言える存在だ。
昨季まで慶南の監督を務めたキム・ジョンブ監督。邦本にテスト機会を与え、重用した。
「チームのフィジカルコーチとも話をしたんですが、邦本の潜在能力はとても高いという。だからこそ、本人には“夢をもって将来のために頑張ろう”と声をかけてきましたよ。関心を払い、接してきました」
監督からもらった、一通の手紙。
キム本人も“キズ”を抱えていた。
若き日にはストライカーとして名を馳せ、'83年メキシコワールドユースのベスト4からA代表に生き残り、'86年メキシコワールドカップにも出場した実績を持つ。しかし後年は、所属クラブ二重契約問題のトラブルを起こし、選手生活の終盤にはDFへの転身も余儀なくされた。
2017年に当時2部だった慶南の監督に就任するまで、プロのステージでの役割すら与えられてこなかったほどだ。自身の慶南監督としての躍進も韓国メディアでは「復活」と描かれた。
そのキムに迎えられた邦本は、一昨年の8月まではまだまだ、“昔の悪い顔”を覗かせることがあった。シーズン中のあるゲームでの活躍までは、韓国では自分がまったく馴染めていないと思っていた。
「なかなか自分のプレーが上がっていかない時期がありました。('18年8月の)全北戦の決勝ゴールまでは、練習でもイライラするところがあった。自分のプレーが出せない苛立ちを表に出してしまっていたんです。本当に駄目なことなんですが」
邦本はその試合の前にキムから手紙を受け取っていた。その内容をよく覚えているという。
“イラつくのも分かるけど、必死に頑張っているところを見ているから。チームメイトもおまえを信頼し始めている”