スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
9年間の蜜月関係はもう戻らない……。
L・エンリケとモレノの悲しい別れ。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byUniphoto Press
posted2019/12/19 08:00
ルイス・エンリケ(右)の右腕として力を発揮したロベール・モレノ。代表監督をめぐって人間関係に亀裂が入るとは……。
「代理」監督ではなくなった不幸。
今年3月。ルチョが病に倒れた娘に寄り添うべく代表チームを離れたときは、2人の関係は揺るぎないものに見えた。当時、暫定監督としてチームを率いたロベールは、事あるごとに「自分はルイス・エンリケの代理」と繰り返していた。
だが、復帰のめどが立たないルチョが辞任を決意し、ロベールが正式に監督に就任した6月以降、ルチョはロベールへの不信感を募らせるようになったという。
原因のひとつは、正式に監督となって以降ロベールがルチョに連絡をしてこなくなったことにある。ただこれは、両者の立場から物事を考える必要があるだろう。
きっと、ルチョはこんなふうに感じていたのではないか。
「暫定の肩書きがとれた途端、ロベールは代表監督の座に目がくらみ、俺をないがしろにし始めた。娘の病状を気にかける連絡すら寄越さないほどに……」
一方、ロベールにはロベールの考えがあったはずだ。たとえばこんなふうに。
「正監督になった以上、いちいちルチョに意見を仰ぐことなく、自分自身が責任を持って決断を下していかなければならない。そもそも彼は娘のことで手一杯なはずで、余計な心配をかけるべきではない」
実際、ルチョは娘のことで精神的に余裕がなかっただろうし、ロベールも予期せぬ形で任された大役を全うすることに必死だったのだろう。
ルチョの娘が9歳で他界したのち。
それぞれが差し迫った状況に追われるなか、非常に残念なことにルチョの娘は8月末に他界してしまう。彼女は、わずか9歳だった。
2週間後の9月12日。ルチョは自宅を訪ねてきたロベールに非情の決断を告げることになる。
一部報道によれば、このときルイス・エンリケは現場復帰の意思を伝えると共に、代表監督を辞して一緒にプレミアリーグのクラブと契約するようロベールに求めたという。
それが事実だったら、ロベールは断らざるを得なかっただろう。自身を信頼してくれたスペインフットボール協会との契約を途中で放棄することこそ、彼にすれば「不誠実」な行為だからだ。