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フラメンゴ火災の悲劇から9カ月後、
親友にU-17W杯優勝を捧げたラザロ。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2019/11/25 10:30
U-17W杯でスーパーサブとして大仕事したラザロ(右)。悲劇に襲われたフラメンゴの希望の星となれるか。
確信に満ちたボレーで決勝点。
48分、ブラジルが右サイドで起点を作る。右SBのイアン・コウト(クリチーバ)がアーリークロスを入れると、ゴール前の選手たちの頭上を越えてファーサイドへ。外側から走り込んできたラザロが、ボールの落ち際を右足ボレーで叩く。
まるで蹴る前から入ることがわかっていたような、確信に満ちたシュートだった。それまで再三の好守でチームを救ってきたGKも、全く反応できない。がっくりと首を垂れ、力なく両膝を突いた。
メキシコの最後の攻撃も実らず、主審が試合終了の笛を吹いた。その瞬間、勝者は喜びを爆発させ、敗者はピッチに突っ伏し、誰もが泣き出した……。
フラメンゴで苦楽を共にした親友。
ラザロは、リオ北部で生まれ育った。6歳でフットサルを始め、10歳でリオの名門フラメンゴの下部組織に加わった。リオ西部にあるクラブのトレーニングセンターの選手寮に住み、プロ選手としての成功を夢見て練習に励んだ。
ルームメイトになったのが、同い年でサンパウロ州内陸地出身のMFリケルモ・デ・ソウザ・ヴィアーナだった。
父親がボカ・ジュニアーズやアルゼンチン代表で活躍した往年の名MFフアン・ロマン・リケルメの大ファンで、その苗字をもじってファーストネームにした。ポジションはボランチで、年齢別のブラジル代表に選ばれていた優秀な選手だった。
明るくて人懐っこい性格で誰からも好かれ、ラザロともすぐに仲良くなった。2人は下部組織の同じチームでプレーし、苦楽を共にした。
ところが、突然、2人を切り裂く出来事が起きた。
今年の2月8日。この日はチーム練習がなかったため、ラザロはリオ北部の実家に戻っていた。一方、リケルモは家が遠いので、選手寮に留まった。
8日未明、実家で熟睡していたラザロは、「大変よ、フラメンゴの選手寮が燃えているわ」という母親のひきつった声を聞いた。最初は「冗談だろ。もっと寝かせてくれよ」と本気にしなかったが、やがて事態の重大さに気付く。飛び起きて火災発生を知らせるテレビの画面を見詰め、涙を流しながら頭をかきむしったという。