フランス・フットボール通信BACK NUMBER
幻のバロンドール、F・プスカシュ。
“マジック・マジャール”の残光。
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph byL'Equipe
posted2019/11/18 18:00
1960年10月、チャンピオンズカップ1回戦。バルセロナとのホームでの試合で、2-2で引き分けてしまったレアル・マドリーのプスカシュ(右)。
欧州5連覇の王者を倒したバルセロナ。
10月19日、チャンピオンズカップ1回戦でFCバルセロナと対戦したレアルは、ホームの第1戦を2対2と引き分けた。
これはチャンピオンズカップが始まって以来、ホームゲームはすべて勝ってきたレアルが喫した最初の引き分けだった。
1週間後のカンプノウでの第2戦は、1対2で敗北――チャンピオンズカップ創設以来無傷の5連覇を成し遂げてきたレアルの敗退は、ヨーロッパ全土に大きなセンセーションを巻き起こした。
その後、すべてのメディアがこの話題で持ちきりとなり、それはパリの『フランス・フットボール』誌編集部も、また各国のバロンドール投票委員たちも例外ではなかった。
「このトロフィーを偉大な先達に捧げる」
にわかに有力候補にあがったのがバルサの若きゲームメイカー、ルイス・スアレスだった。
プスカシュより8歳年下の“ドン・ルイス(スアレスのニックネーム)”は、プスカシュの得票を17ポイント上回り(スアレス54ポイント、プスカシュ37ポイント、ウーベ・ゼーラー33ポイント)、3年間続いたレアルの支配('57年、'59年ディステファノ、'58年レイモン・コパ)に終止符を打ったのだった。
プスカシュにとってバロンドール受賞寸前までいった'60年は、最初で最後のチャンスとなった。
その後、彼は5度のリーグ制覇と2度('62年、'64年)のチャンピオンズカップ決勝進出を果し、また現役最後のシーズンとなった'66年には、いくつか得点を決めてレアルの6度目のチャンピオンズカップ優勝に貢献した。だが、バロンドールに関しては、'61年に5位、'65年に13位にランクインしただけだった。
'67年にはフロリアン・アルバートが、ハンガリー人として初のバロンドールを受賞した。当時26歳のアルバートは、「このトロフィーを偉大な先達に捧げる」とコメントしてプスカシュへの敬意を示した。
心に染み入る言葉ではある。
だが、プスカシュが残した偉大な功績に比べると、あまりにささやかな栄誉であると言わざるを得ない……。