ボクシングPRESSBACK NUMBER
井上尚弥がモンスターを超えた12R。
危機が呼び起こした新たな異能。
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/11/11 20:00
秒殺以上に強さを感じさせる12Rの戦いだった。井上尚弥はまだ何を見せていない力を持っているのだろうか。
「ちょっとペースを落とそうと思うんだけど」
ふと、井上にある考えが舞い降りてきた。右目を隠すようにガードを上げる構え。それは対戦相手のドネアが2013年4月のリゴンドー(キューバ)戦で見せた闘い方だった。
アクシデントがあっても頭は冴え渡っている。急きょ作戦を変え、この構えで足を使って距離を取り、左ジャブを放ち、試合を組み立てていく。試合終了まで右目がぼやけていたことは相手陣営に隠し切れたと確信している。
真吾氏は不測の事態にもかかわらず、うまく誤魔化しながら闘う姿に驚きを隠さなかった。
「ああいう状況でも冷静で落ち着いていましたよね。闘い方をリセットして、仕切り直す。きちんと判断してコントロールできている」
5回の終盤に右を放ち、ドネアをぐらつかせたが、深追いはしない。やはりドネアが2人に見える。おぼろげな視界の中、6回もドネアのカウンターを警戒し、追わなかった。
6回終了時のインターバル。井上が尋ねてきた。
「ポイントはどうかな? ちょっとペースを落とそうと思うんだけど」
もう長期戦を覚悟していた。フルラウンドを闘い抜いての判定狙い。視力と体力の回復に努め、終盤に備えたいという。7、8回を「捨てる」という大胆な作戦だった。
真吾氏は内心「この大舞台ですごいな」と思いつつ、普段通り、自然体を装って言った。
「大丈夫、ここまでは(ポイントを)取っている。落ち着いていこうか」
ボクシング人生で初めて捨てたラウンド。
ボクシング人生で初めて、ラウンドを捨てた。9回には右ストレートを浴び、足元がふらついた。一方で、右目が出血で完全に塞がり、もうグローブで隠す必要もなくなってきた。
「ダメージは大丈夫か?」
真吾氏がそう聞くと、井上は苦笑いを浮かべて言った。
「大丈夫。ここからの3つ(10、11、12ラウンド)取れば勝てるかな。ちょっと(右目が)馴染んできたから、チャンスがあったら、いってみる」
ここでまた作戦を切り替えた。目の状況と戦況を見極め、緩めていたギアを再び上げる。
試合後、この場面を振り返り、真吾氏は頼もしそうに言った。
「あそこはナオの判断。しっかり考えながら、ここはいこう。残り全部(ポイントを)持っていこうという気持ちが伝わってきた」
やはり井上尚弥は「モンスター」なのだろうか。