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6歳からビジャレアル育ちのCBパウ。
クラブの愛情が実った初代表招集。
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph byUniphoto Press
posted2019/10/11 19:00
「イエローサブマリン」の愛称で知られるビジャレアル。パウのような選手を生み出す当たり、スペインサッカーの地力を感じる。
6歳からビジャレアルひと筋のパウ。
例えば、1部昇格を見越したスタジアムの全面改修。自前の練習場を持っていなかったトップチームのための近代的な練習施設の建設。さらには、未来のビジャレアルの礎石となるカンテラの強化である。
パウは6歳のとき、そのカンテラに入団した。
以後ビジャレアルひと筋で、年齢に合わせてカテゴリーを上げていくのだが、現在の彼の実力を考えると、不可解なところがある。一般的に、能力の高い子供は年長者のチームに引き抜かれて、エリート教育が与えられるからだ。
「カンテラはピラミッド状になっていて、上へ進むにつれて道は狭くなり周りとの競争が激しくなる。ビジャレアルの選手育成は国内有数との評判だから、入ってくる子は皆やる気に満ちているしね」
飛び級がなかったことを本人はこう説明しているが、彼の周りにいた指導者たちはパウの資質を見極めかねていたのかもしれない。
マラガに貸し出された時点では……。
ともかく心身とも余計な負担のない環境でプレーし続けたせいか、彼は着実に成長した。
センターバックらしからぬボールコントロールや巧みなパス、足下ばかりに目をやらず頭をあげて常に広い視野を確保する姿勢などは、当時の教えの賜物だろう。
Bチームで迎えた2016-17シーズンには国王杯トレド戦のピッチに10分間立ち、一応のトップチームデビューを果たした。翌シーズンもトップチームに故障者が続発したため、公式戦6試合で計410分間起用された。
ところが、2018-19シーズンは2部マラガへ貸し出されてしまう。
Bチームで主力なのにトップチームになかなか上げてもらえない選手がローン移籍すると、結局は帰る場所をなくし、他所への完全移籍を余儀なくされることがしばしばある。
パウも、そんな心配の対象だった……。
「ずっと前へ進んできたのに、1歩後退したと思われたかもしれない。でも、マラガでの1年はそこから2歩前進するために役立つと確信していたから移籍を承諾したんだ」