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ロッテ福浦和也、引退挨拶全文――。
千葉の顔となった男の貪欲な26年間。 

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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photograph byKyodo News

posted2019/09/26 12:00

ロッテ福浦和也、引退挨拶全文――。千葉の顔となった男の貪欲な26年間。<Number Web> photograph by Kyodo News

26年間の現役生活を終えたロッテ福浦和也。ドラフト7位、背番号70から這い上がった男にふさわしいフィナーレだった。

18連敗、5位か6位が指定席だった。

 福浦が入団した1994年、千葉ロッテはお世辞にも人気球団と言えるチームではなかった。

 西武が森祇晶監督の下、第二期黄金時代を築いていたそんな時代。その後、オリックス、ダイエーと覇権は移ったが、ロッテは5位、6位がもはや指定席になっていた。

 当時を知る主力メンバーの1人である堀二軍打撃コーチが、当時のロッテが置かれた状況を次のように語る。

「一番優勝から遠ざかっているチームでしたし、正直なところ(リーグの)“お荷物”みたいな感じでずっと言われてきましたからね。『お前らどんな顔して優勝とか答えてんだ』と、(ファンに)思われているような重い空気も感じていましたよ。もちろん毎年『勝つ』つもりだし、『優勝』するつもりでスタートはするんです。たとえ前年度最下位でも『優勝を目指します』とも言います。そこは本当に目指しているし、やるぞという気持ちも、もちろんあるんです。でも、本当に言って良いんだろうかという気持もどこかにありましたから。その分の悔しさはもちろんあったし、常に『勝ちたい、勝ちたい』とはずっと思っていましたけどね」

 プロ野球ワーストの18連敗を記録したのは、福浦がファーストでスタメンに定着した最初の年だった。プロの一軍で勝つ厳しさをまさに教わった年でもあった。

忘れられない2005年プレーオフ。

 だからなのか福浦は、今でも2005年のパ・リーグプレーオフ(現在のクライマックスシリーズ)第2ステージの第5戦を一番の忘れられない思い出として話す。

「やっぱり2005年じゃないですか。日本シリーズじゃなくてクライマックスの方ですね。あのクライマックスが僕の中では全てですね。あの2勝2敗になって、どちらかが勝てば優勝という場面で、自分のキャリアで初めて優勝出来た。あれが一番強い思い出です」

 若手時代には試合に出て緊張もしたし、開幕戦で足が震えることもあったという。しかし、あの2005年のパ・リーグプレーオフ第2ステージ第5戦の緊張とは比べ物にならなかったし、後にも先にもあれ以上の緊張はなかったと言う。

「僕自身も(優勝が)初めての経験だったし、プロに入った中で一番いい経験をしたのかなって思いますね。実際、あれからは緊張もしづらくなりましたし……」

 あの経験と、あの勝利の喜びを、今の若い選手達に早く経験してほしいと願う。

 だからこそ自身の引退試合のセレモニーの中で彼は、ファンにこう訴えかけた。

「自分の叶えられなかったリーグ優勝、そして井口監督の胴上げ、ここにいる一軍選手、そして二軍で必死に頑張っている選手達が必ず叶えてくれると思います。そのためにもファンの皆様、これからも熱いご声援をよろしくお願いします」

【次ページ】 「そんなに甘くなかったですね」

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