ぶら野球BACK NUMBER
30年経っても「タツノリ~」と叫ぶ。
巨人優勝が告げた、終わりと始まり。
posted2019/09/24 11:30
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Yasutaka Nakamizo
「“ヘイセイ球史”開く元年セ界一」
9月21日午後、関内行きの京浜東北線に揺られながら、30年前のスポーツニッポンを読んだ。当時、小学校に登校する前に駅の自販機で買ったものだ。
1989年10月7日付紙面には、「歓喜の、涙の王者復活。10月6日、午後9時16分。127試合、81勝目で2年ぶり34度目の王座奪回」と書いてある。芸能面ではオートバックスイメージガールに選出された19歳のクニコちゃんが「好きな車は、日産のエスカルゴ。免許はまだないけど、誰かドライブに連れてってくれないかな~」なんつって賞金50万円と副賞のパリ旅行を手にしてご機嫌なコメント。
この年の12月29日、日経平均株価は3万8915円の最高値を記録。金満日本列島のバブルはピークを迎えつつあった。
なお“縦横無尽スルメ野球”と称賛される一面掲載の故・藤田元司監督の胴上げ写真はカラーではなくモノクロである。裏一面では引退を決めた中畑清が惜別胴上げで男泣き。
大洋打線を完封して胴上げ投手になったのは当時25歳の宮本和知で、優勝手記は打率.378の球団記録を作り平成初MVPに輝くクロマティ。それにしても、驚くのは一面に踊る『歓喜25号 原が決めた 巨人V』の見出しだ。
30年後の令和元年でも、スポーツ新聞には「原巨人」の見出しが溢れている。選手でも監督でも時代を越え、プロ野球界のど真ん中を歩き続けた男。まさに時をかけるタツノリ。
気が付けば、宮本もクロウも戻ってきた。役者は揃い、平成元年の優勝決定と同じ横浜スタジアムで、令和元年Vは決まるのだろうか?
令和の「原巨人」がハマスタへ乗り込む。
前日の20日は午後にジャイアンツ球場で巨人三軍vs.BCL選抜の試合を観戦後、ハマスタのナイターへ移動。
ゲーム差3で迎えた天王山だったが、首位巨人が今季最多タイの5本塁打で直接対決を制し、優勝マジック2に。9月アタマの6連敗で足踏み状態だったが、ついに5年ぶりの胴上げが秒読み段階に。
前日は青く染まったDeNAファンと少数のG党が混在するカオスな雰囲気(通路で酔っ払い同士の言い合いも目撃)の三塁側内野席から観戦だったが、21日はスタジアム全体の風景を見たかったので取材パスを申請済みだ。