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バド女子ダブルスの過酷な選考過程と、
フジカキ&タカマツの知られざる絆。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph byShinya Mano/JMPA

posted2019/08/18 11:30

バド女子ダブルスの過酷な選考過程と、フジカキ&タカマツの知られざる絆。<Number Web> photograph by Shinya Mano/JMPA

リオ五輪で金メダルを獲得したタカマツペア。日本女子バドミントンに新たな歴史を築いた2人だ。

高く高く翔んだ果てに見えた絶景。

 思えばそれは、小学3年生の時、1つ上の高橋と初めて試合をした時に感じたものかもしれない。遥か遠くなった記憶を、松友は後に映像で見たことがある。そこには一方的に負けながらも、次々とコートに叩きつけられるシャトルを嬉しそうに何度も何度も拾い上げる少女の姿があった。

「私は高校を卒業した後、シングルスもやらせていただいていて、どちらかというとダブルスの方が難しくて、世界トップとの差を感じていたんですけど、だからこそ頂点までいけたらどれだけ楽しいんだろうと。

 私が前で勝負して上がった球を、先輩が後ろから、自分では絶対に見られない軌道の球で決めてくれる。先輩は自分にないものをたくさん持っています。自分ひとりでは見られない景色が見られるから、ダブルスをやっているのかもしれません」(松友)

 崖っぷちを笑う松友が、前へ前へと出るたびにスコアが希望を刻んでいく。

 17−19、18−19、19−19……。

 奇跡のような5連続ポイントで逆転勝ち。黄金のメダルと一番高く掲げられた日の丸は、ふたりの翼で、高く高く翔んだ果てに見えた絶景だった。

苦しむタカマツへ、藤井の助言。

 藤井と垣岩は日本の深夜、その光景を見ていた。すでにペアを解消していたが、ふたりに共通したのは、高橋と松友がこのまま翔び続けられるのか、という憂慮だった。

「私はロンドンの後に出た大会で、試合中に怪我をしたんですが、その瞬間に、ああ、これでもうフジカキとして戦わなくていいんだと、思ってしまったんです。楽しくやってきたはずの私たちが、相当な重圧を受けていたとわかりました。メダルを獲ってから、また代表として活動するというのは私には無理でした。だからペアを解消して、(日本代表としての第一線を)退いたんです」(藤井)

 事実、リオ後の高橋と松友は煩悶した。日の丸をつけて世界を転戦するが、結果が出ない。途端に黄金のメダルが羽を重くする。心に火種は見当たらず、どこに向かって翔べばいいのかわからない。

 そんな時期に藤井がこんな言葉をくれた。

「私たちはロンドンの後、解散してしまったけど、一番をとったのに、もう一度そこを目指していること。まだふたりでやっていること自体がすごいことなんだよ」

【次ページ】 ふたつのペアのラストマッチ。

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