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“真の漢”デロッシがローマを去る。
熱狂を求め、アルゼンチンへ飛ぶ。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2019/08/16 08:00
笑顔で「オリンピコ」を去ったデロッシ。“一番地獄に近い場所”といわれるボカの本拠地「ボンボネーラ」に戦いの場所を移す。
「地鳴りと地響きを覚悟しときな」
デロッシは大西洋を渡った。
冬のブエノスアイレスでは元僚友のブルディッソが待っていた。かつてオリンピコでともに戦い、今はボカ・ジュニオルスのSDになった盟友からの熱心な誘いにのったのだ。
デロッシは彼を急かすと、ボカとそのファンが誇るスタジアム「ボンボネーラ」と対面した。
FWオズバルドやMFパレデス(現パリSG)といったボカ出身の歴代チームメイトたちは、デロッシから夜な夜な「ボンボネーラの試合を観ようぜ」と熱心に誘われた夜のことを覚えている。
「ここのグラウンドに立とうと思うなら、地鳴りと地響きに覚悟しときな。昔、あのペレが『この世で一番地獄に近い場所だ』と言ったらしい」(ブルディッソ)
仇敵リバープレートとのダービー・マッチの熱狂ぶりはローマ・ダービーに匹敵する、と聞いたとき、デロッシは体の中から湧き上がってくる武者震いと喜びを抑え切れなかった。
デロッシは“死に場所”を探していた。
現地界隈では、街角のピッツァ職人から勤務中の消防士まで、親しみをこめて「エル・ターノ(イタリア人)」と呼ばれるようになった。悲願のリベルタドーレス杯奪回に向けた切り札として期待は大きい。
8月14日、デロッシはボカ・ジュニオルスの一員として早速デビューを果たした。予定を前倒ししてアルゼンチン杯のアルマグロ戦に先発、28分にCKから先制ゴールを決めた。後に追いつかれ、PK戦の末にボカは敗退したが、76分に交代したデロッシには敵地に詰めかけた2万5千人のボカ・ファンたちからスタンディング・オベーションが送られた。
18日に控えるCAアルドシビ戦でのリーグ戦デビューに照準を合わせて、新しいチームメイトたちとの連係を日々深めている。
ちょっと大仰な言い方をすれば、たぶん、デロッシはサッカー選手としての“死に場所”を探していた。
ローマでキャリアを完遂する夢が叶わなかった彼は、不完全燃焼のままサッカーを辞めることはできない、という自分の内なる声に従った。それは厳しくも温かい我が家から出て行くことを意味した。世界地図を見渡し、最後の情念を燃やし尽くすに値する戦場として見出したのが南米アルゼンチンだった。18年間戦ってきた闘争本能が、北米やアジアで安穏とするな、と言ったのかもしれない。
「俺が求めていたのは、24時間サッカーにイカれているこの街ブエノスアイレスの熱狂だ。ここに来なければわからない。だから来たんだ。俺はここでうんとどでかいトロフィーを勝ち取ってやる」
ボンボネーラが物見遊山で来れるような場所じゃないことは、南米出身者なら身震いするほど熟知している。いかに元世界王者の肩書きがあろうとも、36歳になったデロッシにとって決して甘くないシーズンになるだろう。
ただし、この挑戦がどんな結末に終わろうとも、南米中がデロッシを「真の漢だ」と未来永劫語り継ぐにちがいない。