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西武・若獅子寮が40年間の歴史に幕。
中村剛也、栗山巧らが思い出を語る。
posted2019/08/10 11:30
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Kyodo News
「ここを使うのもあと少しなんやから、最後まできれいに使おうや」
ある練習日、若獅子寮の一角にあるロッカールームを使っていた栗山巧が、若手選手たちに声をかけた。メットライフドームエリアの改修工事事業のひとつとして、これまで駐車場があった場所に、すでに新しい室内練習場と選手寮が完成を控えていた。寮生の引っ越し日も決まり、寮内の古いロッカールームを使う時間が残りわずかとなっていたときだ。
そのことを栗山に尋ねると、栗山は笑いながら言った。
「そんなに、かっこいい話やないんですよ。シンプルな理由です。もうすぐ引っ越すんやから、今からいらないものを整理整頓したほうが効率がいい。何より、これまでずっと僕ら選手は選手会を通して球団に『寮と二軍施設を新しくしてほしい』と言ってきた。それこそ10年近く前からずっと伝えてきたんです。やっとその希望が叶うんだから、『感謝の気持ちを持って使おうよ』と言いたかったんです」
若獅子寮が建設されたのは1979年。
選手たちの希望を、選手会に幾度も伝えた側の栗山としては、間に立って交渉を続けてくれた元選手会役員に対する感謝の思いも強かった。選手が待ち望んだ新施設であることを栗山は入団2~3年目の若い選手にも知っておいてほしいと考えた。
そんな栗山に寮生活の思い出を聞くと、開口一番、冗談交じりの言葉が返ってきた。
「そりゃ、もう一刻も早く出たいと思ってましたね」
若獅子寮が建設されたのは、ライオンズが所沢移転を決めた1979年。当時としてはモダンな建物だったであろうと想像はつく。しかし栗山が入団した2002年の時点で、すでに築23年を迎えており、老朽化は進んでいた。
「僕が入ったのは、グラウンドに接している部屋の端から4番目か5番目だったと思います。昔は1人、1部屋だったそうですけど、僕のときはすでに2部屋の間の壁をぶち抜いて、部屋が広くなっていました」