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国立大Jリーガーから海外転戦人生。
廣山望が世代別代表で伝えること。
posted2019/07/13 11:30
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
Takashi Shimizu
「CMのことは未だによく言われますね。関係者の方に会うと、今でも『その節はどうも』って感じになりますし」
かつて学習塾のCMに出演していた廣山望は照れくさそうに微笑んだ。2014年から指導者として籍を置くJFAアカデミー福島ではその学習塾の教材を導入しており、少しばかり縁を感じたという。
現在、廣山はU-17とU-15日本代表のコーチとしても森山佳郎監督を支えている。
6月頭にU-17の海外遠征でアルゼンチンにいたかと思えば、7月上旬と下旬にはU-15の国内合宿が2回。それが終わると再びU-17の国際ユースサッカーin新潟に参加。9月にはAFC U-16選手権2020予選、10月にはFIFA U-17W杯という大舞台が控えるなど、“兼任”コーチは忙しい。
23歳にして南米パラグアイへ移籍。
廣山の現在の役職を聞いて少々驚いた人も多いだろう。なぜなら、彼のキャリアはちょっと異質だった。海外でのプレーなど、波乱万丈のサッカー人生を歩んだ彼はどんな指導者になっているのだろうか。
1996年に習志野高校からジェフユナイテッド市原(現・千葉)に入団すると、地元出身選手として大きな期待を背負い5年間プレーした。入団と同時に千葉大に進学したことで当時は「国立大Jリーガー」と騒がれ、CM出演で認知度も上がった。フィリップ・トルシエに五輪代表やA代表に招集され、Aマッチ2試合出場の数字が残っている。
彼の名を世に知らしめたのは、当時はまだ珍しかった海外移籍を23歳の若さで実現したことだった。
それも、移籍した先は南米パラグアイだ。「世界中に広がるサッカーを国内だけでやっているのはもったいない。本質を自分の目で覗いてみたい」と移籍を決断した2001年は、海外の情報を得る方法も少なく、国内移籍さえままならないこともあった時代だった。