酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
大谷翔平が達成、サイクル安打と運。
イチローや長嶋茂雄も実は未達成。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byGetty Images
posted2019/06/20 07:00
サイクル安打を達成した大谷翔平。日本プロ野球で見てみると味わい深い面々が並んでいる。
“赤鬼”が教えてくれたのがきっかけ。
1965年7月16日、京都の西京極球場で行われた阪急vs.近鉄戦で、阪急の3番・二塁に座った「赤鬼」ことダリル・スペンサーは打撃絶好調で、三塁内野安打、四球、中堅本塁打、左翼二塁打と結果を残す。
5打席目は三ゴロに倒れるが、延長12回裏に6打席目が回ってきた。
投手は佐々木宏一郎。
スペンサーが思い切って振りぬいた打球は左翼線に転がる。赤鬼は巨体を駆って三塁に。この直後に、次打者である山口富士雄のサヨナラ安打が出て、スペンサーは本塁を踏んだのだ。
記者は誰もサイクル安打を知らなかった。
試合は、4-3で阪急の勝ちとなった。
熱戦を見届けた観客は3500人、閑古鳥が鳴いていたがこれは昭和の時代のパ・リーグでは「並み」の入りだった。
記者たちは当然、猛打のスペンサーを囲んで話を聞く。
5回に出た2ランホームランのこと、この日のホームランでライバルの南海、野村克也に3本差をつけたこと。そしてこの日、オールスター戦に選ばれたこと。
スペンサーはいらいらしながら記者団に話した。
「どうして、サイクル安打について聞かないんだ?」
大男のスペンサーは、NPBで2シーズン目のこの日まで三塁打は1本もなかった。無理をして、最終打席で三塁に駆け込んだのは、サイクル安打のためじゃないか。お前たちはなぜそのことを聞かないんだ?
しかし、日本の記者たちは誰もサイクル安打について知らなかったのだ。
翌日の新聞では、どこもサイクル安打について書いた記事はなかったという。
記者、そして連盟記録部は、その後であわてて資料を調べたようだ。確かに「hit for the cycle」は、米のレコードブックにも掲載されている正式の記録だ。
これは日本も連盟表彰記録にしなければならない――ということで、正式の記録となった。