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石川祐希、柳田将洋を活かすために。
代表セッター関田誠大が誓う進化。
posted2019/05/15 11:30
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Paolo Nucci/AFLO
2019年4月下旬、バレーボール男子日本代表チームが集結し、今年度の活動を開始した。来年の東京オリンピックに向けて「最も重要な一年」(嶋岡健治・日本バレーボール協会会長)と位置付ける今シーズンは、今月末からのネーションズリーグを皮切りに、9月の「第20回アジア男子選手権大会」、10月に日本で開催する「ワールドカップ2019」を戦い、来年のオリンピック本番を目指すこととなる。
そんな中、注目したいのが日本代表に選出されて4年目を迎えるセッターの関田誠大だ。
関田は'16年のリオデジャネイロ・オリンピック世界最終予選でメンバー入り。大学を卒業して間もなかったが、日本の命運を握る重要な大会に抜擢された。その後も毎年、代表に呼ばれ、昨年の世界選手権でも藤井直伸とともに司令塔としてチームを率いている。
関田が感じていた焦り。
一見、順風満帆に見える関田の代表入りだが、本人はさまざまな葛藤と戦っていた。大学卒業後、入団したパナソニック・パンサーズではベテランセッター深津英臣の控えで、なかなか出場機会に恵まれなかった。
「せっかく社会人になって、プロとしてプレーしているのに、試合に出られないのはすごくもったいないと思っていました。もっと成長したいという思いもありました」
そこで決断したのが「移籍」という道だった。
「試合に出られないもどかしさは常に感じていました。実戦から離れて試合勘がなくなるし、実戦経験が積めない恐怖感、焦りを感じました。それに年々、セッターの競争も激しくなるし、代表に選ばれている選手が、Vリーグの中で順調に成長していく姿も見ました。同時に、僕がチームでは試合に出ていないのに、代表に入っていることを不思議に思う人もいただろうし。だとしたら、まずはその環境を変えないといけないと思いました」
昨年9月、パナソニックを退団し、同じトップリーグの堺ブレイザーズに移籍を決めた。
「2018/19シーズンは6位と順位は下位でしたけど、僕自身はとても充実したシーズンでした」と、淡々とした口調でリーグ戦を振り返った。