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ゴールボールの天摩由貴が、ロンドン
パラに出場後、陸上競技をやめた理由。 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/05/06 08:00

ゴールボールの天摩由貴が、ロンドンパラに出場後、陸上競技をやめた理由。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

ディフェンス時、顔に当たらないよう天摩さんの左腕は顔の前に。でも修造さんの顔は無防備。ボールは硬い。当たったら、痛い!

8万人の観衆から声援を受けて。

松岡 少し由貴さんのプロフィールも調べてきました。熱心なコーチの方が見つかって、その方が伴走者を務めてくれたんですね。大学で記録を伸ばして、ロンドンパラリンピックにも出場を果たした。ロンドンは大成功の大会だったと評価されています。実際に大観衆の前で走ってみて、どんなことを感じましたか。

天摩 純粋に、パラリンピックはこんなにも大きな大会なんだって感動しました。2010年には中国の広州でアジアパラ大会が開催されて、3万人の中で走った経験もあったんですが、ロンドンのスタジアムに詰めかけた観衆はなんと8万人。その声援にすごく緊張もしましたし、同時に勇気づけられもしました。

 ロンドンパラリンピックでは陸上競技の2種目に出場したが、結果はどちらも予選落ち。天摩さんはその結果をどう受け止めたのだろう。

松岡 負けず嫌いの由貴さんですから、ロンドンで決勝に進めなかったことで、もう一度頑張ろうと思ったはずです。そのもう一度はなぜ来なかったんですか。

天摩 もっと速く走れるようになりたいという思いはあったんですけど、あまりにも世界との差がありすぎて。陸上ですから、行く前から記録を見れば戦えないのはわかっていたんです。12秒0と13秒5ではもう、勝負にならない。でも実際にあの舞台で一緒に走ってみて、思った以上に差があると感じた。しかも、2回目の出場となるとメダルを獲ることが求められるじゃないですか。あと4年頑張ってそこまでの力がつくかと考えたとき、続けるという選択肢が浮かばなかったです。

いったん休養して考えたこと。

松岡 コーチはどう思っていたんでしょう。その時点ではいったん休養して、気持ちの変化を待つこともできたと思うんですが。

天摩 私のような視覚障害者は伴走者がいないと走ることができないんですね。当然伴走者にもその方の人生があって、限りある時間の中で私の目標のために力を貸して下さっている。それなのに私はまだ次を目指す決心ができていないから、少し待って下さいとは言えなかったです。3カ月や半年待って必ずその気持ちになるんだったら「待って」と言えたかもしれないんですけど、いつその覚悟が出てくるかわからない状況では言えなかったですね。

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