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リンクから離れて気づいたこと。
高橋大輔「ピークはまだ先にある」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2019/05/01 10:00
昨年、現役復帰を表明し、リンクに戻ってきた高橋大輔。さらなる進化を遂げるべくスケートを楽しむ。
競技を離れ、活動の幅を広げた。
苦さも残しつつ、高橋は'14年10月に競技生活を離れた。その後、ニューヨーク留学を経て、活動の場を広げていった。アイスショー出演をはじめ、テレビでキャスターも務めた。その時間は、澱のように心に沈殿していった。
「いろいろな仕事をさせていただく中で、向いていないことをしているなと感じていましたね。喋りが苦手なのは分かっていたけれど、ほんとうに駄目だ、向いていないと思っていました」
あるいはこう感じた。
「自分の顔がどんどんどんどん、嫌になっていました。生き生きしていない、この顔は嫌だ、という思いが強くなりました」
でも、嫌なことばかりではなかった。アイスショーに加え、高橋はダンスショー「LOVE ON THE FLOOR」や歌舞伎とフィギュアスケートを融合させた「氷艶」に出演する。
「そうした公演を重ねていくごとに、自分はパフォーマンスをする場所が好きなんだと思って、その気持ちがどんどん大きくなっていきました。苦手なキャスターの仕事の中でも、各界で活躍するアーティストの方々にお話をうかがいました。その方たちはすごく輝いていて、好きなことをできている喜びをすごく感じましたし、自分もそうなりたいという気持ちを強くしました」
そこで一つの思いに達する。
「自分が輝くための道具はスケートだ」
4年の時間が、スケートを再発見させたのである。
「僕は向こう側にいたい」
決断の後押しとなったのは'17年末の全日本選手権だった。
「公式練習を見たり、解説席にいながら選手やコーチに目を向けたとき、『僕は向こう側にいたい』と思いました」
平昌五輪代表争いに大きな関心が寄せられている中、高橋の心に強く焼きついた選手がいた。山田耕新と山本草太だった。山田は関西大学を卒業後、一度引退。その後、三井住友銀行の行員として働きながら復帰した。もう一人の山本は2度にわたる大怪我から復帰しての全日本だった。
「耕新は一回スケートから離れて、でも社会人として全日本選手権に出てきていい演技をしてガッツポーズをしていた。草太は怪我で自分の本来の実力は出せないけれど、気持ちを持って演技していた。その2つがすごく響いて、いろいろな現役のあり方があるよな、と思いました。トップには行けなくても、試合が好きで、人の前で演技するのが好きで、やっているのが好きで続けていく人がたくさんいると感じました」
そのとき、気づいた。
「それまでの僕は、勝てると思えないのなら現役選手でいるべきじゃないと思っていました。でもそれだけが現役じゃない」