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「さっき、父が亡くなりました」
菊池雄星にMLB挑戦を勧め続けて。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byAFLO

posted2019/04/02 11:30

「さっき、父が亡くなりました」菊池雄星にMLB挑戦を勧め続けて。<Number Web> photograph by AFLO

菊池雄星がメジャーへ渡るのを見届けるかのように、父・雄治さんは他界した。59歳だった。

人生で初めて反対された日本プロ野球入り。

「父が元気なうちにメジャーに行かないといけないんです」

 菊池がそう語るのは、深い理由がある。

 花巻東高校3年の時、メジャー挑戦か国内残留かで菊池は悩んでいたが、本人以上にアメリカの舞台を夢見ていたのはご両親だったのだ。

 菊池はいう。

「日本に残留することを決めた時、両親からは反対というか、僕とは異なる意見を言われたんです。生まれてから僕が高校生になるまで、習い事や進路など、何をするにも自分で決めさせてくれて、反対をされたことがなかったんです。なのに、この時だけはアメリカに行って欲しかったと言われたんですよね」

 もちろん、決断を変えろという反対ではなかったが、それまでの両親との対話ではなかった経験だけに、菊池は意外に思ったという。

 日本だと世間の注目にさらされ、活躍できないと酷評される。一方、アメリカではのびのびとやれる。それがご両親の意見だった。

 それ以来、菊池は日本での活躍を目指す一方、メジャーリーグへの夢を決して忘れなかった。自分の夢に両親、そして結婚してからはそれを支えてくれる瑠美夫人の想いを重ねていたからに他ならなかった。

帰国しないことを決めた雄星。

 父の訃報を受けた後、菊池は帰国せずにアメリカに残ることを決めた。

 簡単な決断ではなかったと思う。しかし故人の意志を考えたら、迷いはそれほどなかったのかもしれない。

 球団を通じて発表された菊池のコメントからも、それはうかがえる。

「父は私に野球に専念し、そのままチームの勝利のために頑張ってほしいと言っていました。私は父の願いに敬意を表し、全力で頑張り、残りのシーズンを父にささげたいと思っています」

【次ページ】 雄星の性格は、父譲りだった。

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