野球善哉BACK NUMBER
菊池雄星を変えたノートと思考法。
「自分を知ることで全てが良い方へ」
posted2019/03/20 11:30
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Takuya Sugiyama
2016年9月28日――。
今となっては日本で最後の投げ合いを制した大谷翔平(現エンゼルス)は、西武打線を1安打完封に抑えて胴上げ投手となった試合後のインタビューで、世間ではあまり知られていない思いを語った。
「国際大会でもそうですけど、こういう試合のようなプレッシャーの掛かるマウンドが成長する一番のポイントだと思っています。そして、相手の先発が(菊池)雄星さんというのも僕的には特別な感覚でマウンドに立てるので、最高のシチュエーションで回って来たなという想いでマウンドに行きました。僕にとって雄星さんは特別な存在なので」
花巻東高校の先輩を慮ったようにも聞こえるが、この言葉が社交辞令でないことは、彼が高校時代に記した文章を読むとはっきりとする。
高校2年時、大谷は学校紹介パンフレットに「実際に成功した人の足跡をたどる以外に確実に成功する方法はない」というタイトルで、先輩への思いをこう綴っている。
「僕が中学3年生の時に見た光景がある。岩手県の人が熱狂して岩手のチームを応援していた事。高校野球で岩手が一つになっていた事。その花巻東には世界を巻き込み日本中を騒がせたすごい男がいた。だから、僕も雄星さんのように尊敬される選手になりたい。愛されるプロ野球選手になりたい。ドラフト1位で。僕もドラフト1位で……」
菊池雄星、大谷翔平が育った花巻東。
度々、思うことがある。不世出のスターたちの成長の足跡は、その後の野球界にどれほど活かされているのだろうか、と。
もちろん、野茂英雄やイチローといった世界に名を残す人間を育て続けることは容易ではないかもしれないが、スターたちが辿ってきた足跡を残すだけでも、次世代の育成にとって大きな意味を持つのではないか。
そして菊池雄星が、大谷翔平が育った花巻東高には、そうした育成バイブルがある。
彼らの恩師である花巻東の佐々木洋監督は、2人と歩んだ日々を克明に記録している。大谷という数十年に1人の逸材を育てられたのも、菊池という成功例の後をたどることができたからだと、佐々木は言う。
「実は大谷が中学3年生のとき、ほとんど声をかけていないんです。雄星らの代が活躍して岩手県が大騒ぎになっていた時だったので、これで大谷が入ってこなかったら縁がないなと思っていました。だから、大谷を花巻東に連れてきたのは雄星だといえるんです。
実は、もし入学した順番が逆だったら雄星は回り道せずにすんだと思っています。雄星に申し訳ないと思っているのは、あれほどの素材を手にしたのが僕は初めてだったから、育てるのが手探りだったこと。回り道させたな、と。
その時に蓄積した成功と失敗の経験が、大谷につながりました。雄星のデータで大谷ができ上がった。もし逆なら、雄星の方が先にメジャーに行っていたと思います。雄星と大谷は直接関わってはいないですが、大谷は相当な影響を受けていると思います」