松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
修造が訊く!パラ・パワーリフター
大堂秀樹が競技を始めた意外な理由。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/03/05 17:00
パラ・パワーリフター大堂秀樹の強靭な肉体は、強靭な精神からもたらされたものである。
「考えてもどうしようもないことは考えない」
松岡「友だちは大丈夫だったんですか」
大堂「僕ほどのケガではなかったけれど、それでも前歯を折って、大きな傷も作りましたから、申し訳ないことをしたなと」
松岡「でも、自分の方が大変なわけですよね」
大堂「そのときは、歩けなくなったのが連れじゃなくて俺で良かったなって、正直思いましたけどね。自分はなんとかなるだろう。なんとでもなるわって。それほど深刻には考えていなかった」
松岡「えっ? 歩けなくなったんですよ。どうしてそんなにポジティブマインドでいられるんですか」
大堂「小学生の頃からけっこう、手伝いをして小遣いを稼いだり、中学高校もそうだったけど、わりと自分の力で生き抜いてきたんです。だからなんとかなるかなって」
松岡「でも、生き抜いていくのとまたちょっと違う感覚じゃないですか。だってそもそもが自分のせいではない。悪いのはトラックで、しかもちょっとしたケガではないわけですよ。もう歩けない、どうして俺がって、悔しくなるのが普通の感覚だと思いますけど」
大堂「そういうのもあったかもしれないけど、そこまでは思わなかったですね。考えて歩けるようになるなら考えますけど、考えてもどうしようもないことは考えない。だって時間のムダじゃないですか」
松岡さんは一瞬、考え込むような表情になり、視線を宙に浮かべた。大堂さんはコーラに手を伸ばし、喉を潤す。
「すごい人が入ってきたから会いに行こう」と。
松岡「……そこが秀樹さんの強さなんですね。事故と割りきって、次へ進んでいく。運命として受け入れたということですか」
大堂「そうですね」
松岡「でも、ジャッキー・チェンになるのは難しくなります」
大堂「確かにジャッキーからは遠ざかるけど、入院中にこのベンチプレスと関わるきっかけを得ましたからね。まだ背骨を折って早々で、やっとベッドから起き上がれるようになった頃、僕についていてくれた看護学生さんに『すごい人が入ってきたから会いに行こう』と言われて。それが高橋省吾さん。今の僕の師匠に当たる方です」
松岡「どんな方ですか?」
大堂「当時、プロレスラーのようなでかい体をしていて、僕と同じ脊損(脊髄損傷)でした。当時、僕は筋トレをしていたとはいえ、体重が60kgくらいしかなかったから、まず『すげえ体をしているな』って。
その時、高橋さんと話をしていて、何かのはずみで腕相撲をしようということになったんです。じつは僕は腕相撲がチョー得意で、工事現場でバイトをしているときは、相手が両手でも勝っていたくらい。それほど自信があった。それなのに、何の抵抗もできず完敗を喫しまして。それがすごくショックでした。
その後に、色々と話を聞いていたら、この人がベンチプレスで世界2位になった人だ、ということがわかった。よし、自分の得意な腕相撲で負けたんだから、今度は僕が高橋さんの得意なベンチプレスで勝ってやろう! そう思って、ベンチプレスを始めたんです」
松岡「(あ然として)すごい発想ですね。でも、ジャッキーとは違う、ジャッキーの次に目標になる人が、目の前に現れた、ということか。元をたどると、とにかく高橋さんに勝つために始めたと」
大堂「僕にとっては、高橋さんがすべてでした」
松岡「そんなに腕相撲で負けたのがショックだったんですか」
大堂「まったくの無抵抗で負けたのはあれが人生で初めてだったので。将棋倒しのようにパタンと倒されて、やっぱり悔しいじゃないですか」