松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
修造が訊く!パラ・パワーリフター
大堂秀樹が競技を始めた意外な理由。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/03/05 17:00
パラ・パワーリフター大堂秀樹の強靭な肉体は、強靭な精神からもたらされたものである。
「何もできない。動けない」
松岡「ひどいですね、そのトラック……。その……命の危険を感じた瞬間って映像がスローモーションになるって言いますけど……」
大堂「なります、なります」
松岡「スローモーション……よけられたかもしれない、などと考えたことは?」
大堂「ムリでしたね。これは確か、なぎら健壱さんが言っていたと思うんですけど、スローモーションの時って『一回家に帰って、風呂に入って、もう一度ここに戻ってくるくらいの余裕がある』って。本当にそんな感覚なんだけど、残念ながらよけられないです。全部見えているし、スローモーションなんだけど、何もできない。動けない」
松岡「……苦しいですね。その直後に大変なことが起こるってわかっているわけじゃないですか。なのに、そんなにも長い時間の感覚がある」
大堂「全部見えているんですよ。バイクのフロントがロックして、地面が近づいてきて、次の瞬間にぶつかるまで」
生々しい事故の記憶を、大堂さんは淡々と語っていく。これまできっと、何百回、何千回と人に話してきたことを、丁寧に語ってくれる。辛い記憶なのに、努めてフラットに。なぎらさんのエピソードをはじめ、ときに笑いを交えながら……。
松岡「事故の直後は気を失ったんですね」
大堂「それが……意識はしっかりあったんです」
松岡「あった! それも、つらいですね」
大堂「そういう時はアドレナリンが出ているから痛くないって言うでしょ。でもね、めっちゃ痛かったです。全身が痺れていて、下半身が動かない。このトラックを逃がしてたまるか、という気持ちで、意地で掴んでましたね」
松岡「どういうことですか。掴む……。何を?」
大堂「とにかく逃げられたらイヤだったので、荷台の端っこを掴んだんです。そうしたら運転席から人が降りてきてくれて、運良く消防署の前だったので、すぐに救急車を呼んでくれました。ただ1軒目の病院はそれほど大きくないところで、『うちでは対応できません』と。そこから他所に移されて、2軒目で処置してもらえたのかな」
松岡「そこで背骨が折れてますと」
大堂「脊髄損傷による両下肢機能全廃。でもその時はね、自分のことよりも連れのことが心配でした。実は……友だちを後ろに乗せていたんです。中型バイクだし、2人乗りは違反じゃありません。ヘルメットもかぶっていたし、盗んだバイクでもないから大丈夫です(笑)。でも、事故の後に連れとは別々になったから、あいつ死んでないかなって」