マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
春になると思い出す衣笠祥雄の金言。
「高校の頃が野球が一番楽しかった」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2019/01/16 07:00
衣笠祥雄さんですら開幕は「怖かった」という。プロ野球とは厳しい世界である。
キャンプ地のホテルの朝食でばったり。
そんなことがあって、その後も、年にそれほどお目にかかる機会があったわけではないのだが、球場でお会いするたびに、「安倍さん、ご無沙汰しております」と、必ず名前で呼びかけてくださって、あれだけのことをなさってきた方が、こんなに腰の低いのか……と、こちらのほうが、どんな言葉でご挨拶したらよいのか、困ってしまう程だった。
春のプロ野球キャンプの取材で、宮崎に行った時のことだ。
朝食の会場で、衣笠さんとバッタリ出会って驚いた。自分が同じホテルに泊まっていること自体、おそれ多く感じたものだ。
席が混んでいて、同じテーブルで、ということになった。
宮崎の名物がいくつも並んだ豪華なバイキングだったが、衣笠さんのお皿には、野菜中心の料理が少しずつ品良く盛られ、それに、ご飯が軽く茶碗に一杯。健康を気遣われているようだった。
こちらはというと、昼食を取り逃がすことの多いキャンプ取材、昼のぶんまで……という了見で、山と盛り上げられた自分の皿が恥ずかしくなった。
「そりゃあ、怖いもんですよ」
お皿の料理を少しずつ口に運びながら、淡々と語られた「昔ばなし」が忘れられない。
キャンプを迎える心持ちって、どのようなものだったのですか?
「そりゃあ、安倍さん、怖いもんですよ」
意味がわからなくて、ポカンとしてしまった。
「今年はほんとにヒットが打てるのか、ホームランが打てるのか。去年までは出来ていたことが、今年もし出来なかったらどうしよう……そんなことばっかり考えますよ」
おだやかに笑顔を作りながら、決してわざとらしい言い方じゃない。
「キャンプの初日の最初のバッティング練習の初球ですよ、いちばん怖いのは。これを芯で捉えられないと、打ち損じますとね、結構落ち込みますよ。もちろん、絶対態度には出しませんけどね」
高校生の頃、京都の平安高校(現・龍谷大平安高)という名門の4番として、高校球界有数のスラッガーと高い評判の中で、実は、外の変化球がなかなか芯に当たらなかったという。内角も快速球で突かれると、インパクトで必ず振り遅れる。
実は「出来ないこと」がいくつもあって、内心いつ化けの皮がはがされるか……ビクビクしながら、野球をしていたという話にも驚いた。