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与田剛の右手は下から2番目を選んだ。
根尾昂と竜の未来を握る、戦う男の手。

posted2018/12/26 11:30

 
与田剛の右手は下から2番目を選んだ。根尾昂と竜の未来を握る、戦う男の手。<Number Web> photograph by Kyodo News

根尾を1位指名した中日の与田新監督は、巨人など4球団と競合したが見事に1番クジで引き当て、1年目から遊撃手として勝負させる意向。

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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 12月、ABCラジオの『道上洋三の健康道場』という番組に、元中日監督の落合博満氏がゲスト出演していた。ざっくばらんに野球人生を振り返っていたのだが、興味深かったのは「幻の阪神入り」だった。

「オレが24(歳)のときに阪神タイガースがドラフトにあげるからって来たんだから。オレ、期待したんだよ。あのときは」

 東芝府中に在籍していた落合氏に、阪神のスカウトが接触してきたのは1977年のことだった。番組内では当時のやりとりを明かしていた。

 スカウト「おまえをドラフトであげよう(指名しよう)としているんだが、あげたら来るか?」

 落合「喜んで行きます。私は東北の生まれですが、関西でもどこへでも行きますよ」

 しかし、阪神は指名しなかった。落合氏は空白の1日で知られる、翌1978年の「江川ドラフト」で、ロッテから3位で指名された。

山本昌、今中と阪神スカウト。

 ここで登場する阪神のスカウトは田丸仁氏(故人)である。のちの三冠王を指名しなかった田丸氏は、1983年のドラフトでも大魚を取り逃がす。元中日の山本昌広氏である。山本氏の著書『133キロ怪速球』で、田丸氏との出会いをこう綴っている。

 学校の最寄り駅で『まるでドラマに登場する刑事のようなトレンチコートを着て、そして手塚治虫氏のようなベレー帽をかぶっていた』男性に「山本君」と呼び止められた。山本氏の下校を待ち伏せした田丸氏は『キミは、本当に大学へ進むのかね?』と質問し、山本氏の「そうです」という答えを聞き、帰って行った。

 さらにその5年後にも、田丸氏は宝石を握っていた。元中日の今中慎二さんの代名詞でもあるあのスローカーブを教えたのが、田丸氏だという。

「もう時効でしょうけど、学校(大阪桐蔭)の室内練習場を閉めきって、田丸さんに指導してもらっていました。監督も田丸さんも法政(大学)という縁だからでしょう」

【次ページ】 ドラフトは結局、ご縁の世界。

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