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梁勇基が葛藤する仙台愛と出場機会。
中村憲剛の一言にも心を動かされ。
posted2018/12/28 08:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
J.LEAGUE
仙台一筋15年目で初めて見る光景だった。2018年12月9日の埼玉スタジアム。梁勇基は冬の冷たい夜風に吹かれながら、ピッチ上で背筋を伸ばし、表情をひとつ変えずに、天皇杯の表彰式をじっと見つめていた。
「(決勝で)負けたあとにすぐにトロフィーを掲げられるのは、めっちゃ悔しいもんやなって。俺は初めてやったから。これを味わったチームも、俺自身もバネになる」
クラブ史上初のカップ戦ファイナルへ進出。仙台の歴史を築いてきたベテランは積年の思いを募らせてベンチで準備していたが、天皇杯決勝のピッチに立つことはなかった。
「俺はここまで来るのに15年かかったから。プロ1年目でこの場所で戦った選手もおる。ほんま、幸せやなって。正直、うらやましいと思った」
年季の入った大阪弁で話す言葉には実感がこもっていた。卑屈になっているわけではない。むしろ、自らを奮い立たせるモチベーションに変えていた。
年を追うごとに出場機会が減り。
「試合に出たいという欲が一層強まった」
'18年シーズンはプロキャリアで最も歯がゆい思いをした。'04年に加入し、J2時代からチームの主軸を担い、'09年は7季ぶりのJ1復帰に大きく貢献、'12年にはJ1で2位に大躍進した立役者となった。その翌年はクラブ史上初のACLにも出場した。
しかし、仙台の絶対的な司令塔として君臨してきた背番号10も、押し寄せる世代交代の波にのまれそうになっている。'18年のリーグ戦は14試合出場にとどまり、スターティングメンバーに名を連ねたのは5回のみ。'17年は24試合出場で先発14試合。35歳を超えた頃から徐々に出場機会を減らしている。
それでも、年齢に抗うことを止めようとはしない。普段の生活から節制し、体を休ませるために、不要な外出もしないという。練習場でも愚痴ひとつこぼさず、黙々とボールを蹴り続けている。シーズン中、何度かプロとしての矜持を耳にした。
「コンディションはずっといい。どこかのタイミングでチャンスはくる。俺は来るべきときに仕事をすればいいと思っている。1週間の準備を評価されるわけではないんで。そこは、あえて口に出すことではない。俺らは試合でのパフォーマンスがすべて」