球道雑記BACK NUMBER
小柄でも最速155kmの東妻勇輔。
ロッテのドラ2は幕張の防波堤。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2018/12/17 07:00
東妻は新入団会見で目標を「最多ホールド」と記した。
ワインドアップに変更。
東妻は言う。
「高校まではセットで投げていましたが、大学に入って辻コーチと話をしました。そこで『セットも良いけど、プロで活躍している超一流のピッチャーはだいたいワインドアップで投げているぞ』と言われたんです。ヤンキースの田中将大さん、ドジャースの前田健太さん、東北楽天の岸孝之さん……皆さん、ワインドアップで反動をつけているからこそ、あれだけのボールが投げられている。セットポジションだけで投げられるのは、体が大きくて強い選手だからだぞとも言われました。
僕は体がけっして大きな方ではないですし、体の力がすごく強いかと言われたらそうでもない。ならば全身を使った投球が1つの軸になると思ったんです。あとはフォームで相手に威圧感を与えたいというのもあります。セットだとそこまで相手に威圧感を与えられないと僕は思っているので、まずはフォームで相手に威圧感を与えたい。僕はそう考えました」
3年秋にはノーヒットノーラン。
東妻は首都大学野球のリーグ戦で徐々に頭角を現す。大学2年春からリーグ戦で登板すると、3年春には15個の三振を奪って初完投を記録。球速も150kmを超えてきた。
さらに秋には首都大学野球史上16度目のノーヒットノーランも達成、その後、進出した関東地区大学野球選手権大会、そして明治神宮大会でも先発、リリーフと大活躍。決勝戦では2安打完封で相手打線を封じ込み、チームの37年ぶり2度目の神宮大会優勝に貢献した。
それでも、まだ調子にムラがあった。3年秋の首都大学野球のリーグ戦。状態が悪いときは球速が140km中盤から後半までしか伸びず、ボールのキレを欠くことも少なくなかった。
「このままでは上の舞台で通用しない」
そう感じた東妻は、球速をもっと安定させようと積極的にウエイトトレーニング。体重と筋肉量を増やした。