野球善哉BACK NUMBER
5年前にU18だった彼らが東京五輪へ。
侍ジャパンの松井、森、上林世代。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNanae Suzuki
posted2018/11/28 11:30
侍ジャパンでも強烈な存在感を発揮する森友哉。5年前の記憶は今も彼に宿っている。
森「いろんな餌まきが必要」
日米野球の第3戦でスタメンマスクを被った森は、5回1死二、三塁のピンチの場面で、モリーナに右翼スタンドに放り込まれている。この試合で先発していたのはチームメイトの多和田真三郎(西武)だったが、アウトコースにしっかりコントロールされたスライダーを見事に弾かれてしまったのだ。アメリカの舞台でプレーするスーパースターに一発を食らったことは大きな経験になっただろう。
「日本と違ってセオリーがアウトコースでないことはわかっていましたが、アウトコースをしっかり弾かれてしまった。ボール自体は悪くなかったと思いますが、(配球が)丁寧に行き過ぎたのかもしれません。
改めて感じたのは、いろんな餌まきが必要だということです。失投を失投じゃないようにするのが、キャッチャーとして大事だと思います。世界と対戦することができて、配球という部分ではいろんなバリエーションを考えないといけない。自分の引き出しを増やして行きたいと思います」
上林「JAPANは思い出したくないくらい」
プロ1年目からデビューした松井・森と違って、悔しい思いを糧にしてきたのが上林だ。そのU18代表には上林も名を連ねていたが、当時は控え要員だったからだ。
高校2年で夏の甲子園に出場した上林は、同年の秋、東北大会を制して神宮大会も連覇。翌年のセンバツ大会に出場するなど、松井・森と並ぶドラフト候補と騒がれていた。ところが、3年生になってからの1年間で大きくつまずいた。最後の夏の甲子園ではチームは2回戦まで進出したが、上林は1回戦の浦和学院戦で3三振を喫するなどどん底にいたのだ。
なんとかU18代表入りは果たしたものの、ポジションは約束されていなかった。さらに彼にとって屈辱だったのは、ある試合で上林の代わりに外野を守ったのが本来は遊撃手の熊谷敬宥(阪神)なことだった。
高校生当時、上林はこんな悔しさを口にしている。
「高校JAPANは思い出したくないくらい悔しい。試合に出ていた人たちの実力が僕より上だと思われたままでは悔しいので、そいつらの頂点にたてるように、見返せるようにしたい。JAPANで悔しい想いをして、そこで初めてメジャーに行きたいと強く思いました。日本のプロ野球も素晴らしいんですけど、野球界の最高峰は、メジャーです。そこで結果を残せば、何も言わないと思いますから」
その想いの強さがあったから、上林は2年目のシーズンにデビューを果たすと、着々とその地位を確立していくことができたのだろう。今季は日本シリーズでも1本塁打を放つなど、同世代で最も早く日本一に輝いている。