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「45歳まで現役でバレーを続ける」
清水邦広は全治12カ月にも前向き。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYuko Tanaka
posted2018/11/14 07:30
今年2月、選手生命を脅かす大怪我を負ったが、地道にリハビリに励み、復帰を目指す。
3万羽にも及んだ折り鶴。
入院中はケガをした右脚に負荷をかけないようリハビリに励むも、簡単にできる動きを1つこなすだけで汗をかき、息が上がる。何度も気が滅入りそうになったが、多くのファンから届く3万羽にも及んだ折り鶴やメッセージが「ここで諦めるわけにいかない」と気持ちを奮い立たせた。ようやく少し、前を向くことができたのは、暑い夏が終わる頃だ。
パナソニックパンサーズの地元、枚方市でのイベントにホームゲームのアピールで参加した際、ふとしたきっかけから、メンタルコーチングの存在を知った。
東海大時代や日本代表でもメンタルトレーニングは何度も受講したことがあったが、心を「鍛える」トレーニングに対して、コーチングは心を「整える」。最初は半信半疑ではあったが、リハビリの間を縫って受講すると、1つ1つの小さな言葉が清水の心にスッと響いた。
困難をラッキーだと思えばいい。
「自分の人生が80年だとしたら、今は一瞬だ、と。もちろん苦しい時期であるのは変わらないけれど、その困難や不幸を逆にラッキーだと思えばいい、と言われたんです。マンガの主人公でも最初から何もかもうまく行く人はいなくて、困難を克服して最後に成功するから人の心を動かす。
『だから今は、このケガが清水くんのこれからをお膳立てしてくれているから、前向きにリハビリに取り組めばいい』と言われた時、なるほど、と思って。今までの自分には全くない思考が面白いと素直に思えたし、それからはうまくいかないことがあっても、落ち込まずに、落ち着いてリハビリに取り組めるようになりました」
もう1つ、清水にとって大きな転機になったのが10月に開催された福井国体だ。
当初は地元出身選手として出場する予定だったのだが、リハビリ中でプレーすることは叶わない。一度は出場辞退を申し出たが、「ベンチにいてくれるだけでもいい」と懇願され、ユニフォームを着てベンチ入りした。
自身も「みんなでつくってきたチームだし、自分がいてもやることはないだろう」と思っていたが、同じユニフォームを着て同じ場にいる。そして目の前で試合を行う姿を見るだけで、驚くほどに気持ちが高揚した。
気づけば、ベンチから何度も大きな声を出し、ガッツポーズをして、タイムアウトのたびに選手の輪の中心に立ち、気づいたことを伝える。終盤の勝負所でピンチサーバーとして投入される選手には「マジ頼む!」と何度も何度も肩を叩きながら声をかけた。