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新井さんの笑顔は涙でできている。
若きカープの4番打者が号泣した日。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKyodo News
posted2018/09/29 11:30
2015年にカープに復帰。25年ぶりのリーグ優勝を果たした2016年にはシーズンMVPに輝いた。
引退の取材でも、場を湿っぽくさせない。
親指1本分ほどの小さなグラスを何度、合わせただろう。最後は自分の腹が痛くなるほど笑っていた。
《そういえば、新井さんの悩みはなんだったのだろう》
かすかに頭をよぎった帰り道、川沿いの道で後輩と2人そろって前かがみになり、背中をさすり合った。酔いを醒ます寒風と、食道を逆流してくるテキーラの苦さの中で思った。
《これだけ蒸留酒を流し込んでも洗い流せない苦悩があったはずなのに、あの場はなぜ、あれほど朗らかに乾いていたのか。
新井さんの大きな体と心はどれほどの痛みや苦しさを内包しているのだろうか》
あれから月日が流れ、Number962号『カープの花道』のインタビューで新井さんと向き合った。相変わらず、新井さんは部屋の空気を陽性に保つために、よく笑った。引退を決めた自分にまつわる湿っぽさを振り払うように、編集者も、カメラマンも笑わせた。
そして、笑いながら、若き日の自分が、泣きに泣いた日があるという話をしてくれた。
山本浩二の前で泣き崩れた新井。
2003年、7月12日。
このシーズン、初めてカープの4番を打つことになった26歳の新井はその日、憧れの人、山本浩二の前で泣き崩れた。自分でも理解できないほど、とめどなく涙があふれた。
そういう日だったという。
甲子園に出られなかった広島工時代、4年間で2本しかホームランを打てず、ドラフトにもかかりようがなかった駒大時代、新井さんの苦労と挫折の歴史の中でも、とりわけ、原点になっている経験なのだとわかった。
そして、新井さんにインタビューした数日後、山本浩二氏にも会った。
「あのことは、よう覚えとるよ」
ミスター赤ヘルはそう言って、時代を超えて、2人の4番打者をつないだあの日のことを語り始めた――。