“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
本田圭佑のビジネスの原点は能登?
星稜・河崎監督が尽力した大会とは。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/08/26 08:00
今年も開催された「石川県ユースサッカーフェスティバル」。星稜・河崎護監督の尽力が、大会の大規模化に直結した。
本田や豊田らを輩出、全国制覇も。
この過程の中で、河崎率いる星稜も素晴らしい成績を残している。
2002年度の高円宮杯全日本ユースで準優勝したチームには、当時2年生の豊田陽平、1年生の本田圭佑がいた。2004年度の高校選手権でベスト4に入ったチームには当時3年生の本田、橋本晃司、2年生に作田裕次ら、のちにJリーグへと羽ばたく素晴らしい選手たちがいた。
2007年度には鈴木大輔を擁してインターハイ準優勝。また選手権では2014年度優勝を筆頭に、2012年度から4年連続ベスト4以上の成績を収めている。間違いなく星稜は同フェスティバルによって強化が進んだ、と言えるだろう。
星稜だけではない。20年ほど前は七尾市より北側にある中学校に、サッカー部は1、2校しかなかったという。しかし今では多くの中学校にサッカー部ができ、街レベルで見てもジュニアチームが約20チーム、ジュニアユースは5チームほどもある。
石川県は“サッカー不毛の地”から一変。星稜は全国屈指の強豪校となり、なおかつ“サッカー合宿、大会の一大聖地”となったのだ。
この原動力は、間違いなく河崎のマネジメント力である。
4年前、イタリアで本田と意見交換。
しかしなぜ、河崎はここまでの情熱を傾けられるのか――そこにはまず故郷・石川をサッカーで活性化させたい、という原点の想いがある。
それとともに、実は教え子である本田圭佑の姿勢にも、刺激を受けているのだ。
本田は一流のサッカー選手としてだけではなく、有能なビジネスマンとしても活躍の場を広げつつある。現役ながら「HONDA ESTILO株式会社」を経営し、サッカースクールやアスリートのマネジメントなどを手がけているのは有名だ。
今から4年前、ブラジルW杯を直前に控えた2014年のこと。河崎監督がイタリアに渡り、本田と濃密な意見交換したことを知る人は少ないだろう。
「あの時、圭佑はいろんなことに興味を持ち始めていた。話しながら“本当に凄い奴だな”と思ったのは、サッカー分野のビジネスのビジョンだった。圭佑は『サッカースクールをこれだけの数は展開したい、将来はアメリカでこういうことをやりたい』と語ってくれた。かなり具体的だったので“そこまで考えているのか”と驚いたし、私自身も大きな刺激を受けた。今を見ても、それをほぼ有言実行していますからね。
当時はまだアメリカに何も手をつけていない状態だった。しかし、現在では彼が出資しているチーム(オレンジ・カウンティSC)があって、しっかりと現実になっている。それが凄いんだよ、彼は」