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甲子園で響き渡った慶應の応援歌。
『烈火』と野球部の10年物語。

posted2018/08/19 07:00

 
甲子園で響き渡った慶應の応援歌。『烈火』と野球部の10年物語。<Number Web> photograph by Kyodo News

1回戦では劇的なサヨナラ勝ちを見せた慶應。『烈火』も打線を後押しした。

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神津伸子

神津伸子Nobuko Kozu

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Kyodo News

 東京での手術後の退院からわずか10時間後、慶應義塾幼稚舎の教諭・小山太輝は甲子園アルプス席に立っていた。

 第100回を迎えた夏の甲子園2回戦、慶應義塾高校vs.高知商業。自らがその誕生に立ち会ったオリジナル応援歌『烈火』が響き渡った。

 その応援は、観客やテレビ越しにも強い印象を与える。今春の選抜で応援団賞を受賞したことがその証明だろう。

 小山は応援風景を見て胸を熱くした。春の選抜、今大会も中越との1回戦に足を運べなかっただけに喜びはより大きく、教え子たちとともに歌う時間は夢心地だった。

 制作から10年。『烈火』は年々、応援する者たちと成長し、新たな局面を迎えようとしている。

応援も日本一を目指すために。

『烈火』は赤いメガホンを高く掲げて振り回して歌うため、アルプス席が真っ赤に燃えるようになる。

 2008年、慶應が3年ぶりの選抜出場を決めた時のこと。55代応援指導部主将だった小山の「野球部が日本一を目指す以上、応援でも日本一を目指さなければ」という思いから生まれた。

 まず小山は、選手たちと心を同じくしたいと授業や昼食をともにし、自身は応援用器材の刷新、ホームページのリニューアル、指導ビデオ作成など次々と行動した。

 応援を見直す中でチャンスパターンの布陣に物足りなさを感じ、オリジナル応援歌を作ることを決意した。イメージは智弁和歌山などが使う高校野球の定番『アフリカン・シンフォニー』のような短調で低音の効いた、そして誰にでも歌える曲だった。

 だが当時高校生の小山に、作曲家へのつてなどあるはずもなかった。

 そんな中、インターネットで『シリウス』、『フェニックス』、『アラビアンコネクション』と東京六大学野球で使用される曲を作った慶大OBの弁護士、中谷寛也の名前を見つけた。

 中谷は大学時代は応援指導部に所属し、吹奏楽でサックスを担当したという。しかし中谷は系列の慶應志木高校出身。最初は「自分が慶應高校の曲を作るのは申し訳ない」と固辞されたが、小山の情熱が中谷を動かし、最後には快諾してくれた。

【次ページ】 わずか10日後に届いた曲に、自分たちで歌詞を。

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