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小林悠、代表落選はもう過去の話。
水戸戦という原点でのリスタート。 

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いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

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photograph byGetty Images

posted2018/07/11 07:00

小林悠、代表落選はもう過去の話。水戸戦という原点でのリスタート。<Number Web> photograph by Getty Images

Jリーグを代表するFWとなった小林悠。水戸ホーリーホック時代の経験もまた彼のキャリアに刻まれている。

大学時代の練習試合で活躍した縁。

――2008年の7月。

 偶然にも、今からちょうど10年前、拓殖大学の3年生だった小林悠は、JFA・Jリーグ特別指定選手として水戸ホーリーホックのユニフォームに袖を通してプレーしている。プロ入り後、川崎一筋でプレーしている小林にとって「古巣戦」は基本的に存在しないが、唯一ともいえる例外がこの水戸なのである。

 当時の小林は、関東大学サッカーリーグ2部で目立ち始めたFWだった。群を抜くほどズバ抜けた存在ではなかったが、水戸の台所事情もあって特別指定の打診を受けた。

「拓殖大学と水戸で練習試合したときに僕がけっこう活躍したんですね。ちょうど水戸のFWが怪我人だらけで、荒田くん(荒田智之)ぐらいしかいなかった。そこで木山監督(木山隆之)から『ぜひ力を貸して欲しい』と言われました。ちょうど前期が終わって大学リーグが休みで、僕からしたら『よろしくお願いします』という気持ちだけでした」

お金をもらって試合に出るシビアさ。

 大きなチャンスだと感じ、プロでどれだけ通用するのかを試してみたいという思いが強く迷いはなかった。実家を出てクラブの寮に住み、練習に通う毎日だ。プロの集団と生活をする日々には、学生の場では感じられない緊張感があった。

「当たり前ですけど、アマチュアとプロの厳しさの違いですね。学生とは全然違いました。プロに行くと、お金をもらってサッカーをやっているし、お金をもらって試合に出る。お金をもらってサッカーをするというのは、それだけ厳しいのだとシビアな一面を見ることができました。大学のチームでは自分が一番だったけど、プロってこういうものなんだなと。刺激的でしたね」

 間近で見たプロ技術にも圧倒された。中でも驚いたのが、GK本間幸司だという。J2リーグ最多出場記録保持者であり、いまもなお現役を続けている41歳のクラブレジェンドだ。練習でのシュートをことごとく止められ、セービング技術の高さに舌を巻いた。

【次ページ】 「幸司さんのレベルに衝撃を受けた」

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