スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
ワールドカップと最短退場者。
C・サンチェスは史上2番目だった。
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byAsami Enomoto
posted2018/06/21 17:00
日本にとっては幸運、コロンビアにとっては悪夢。カルロス・サンチェスの退場劇は試合の流れを決定づけた。
残り87分を10人では、つらい。
C・サンチェスの退場処分は、この事件に次ぐ早さだった。コロンビアは残り87分を10人で戦わなければならなくなった。いくら地力の差があるといっても、これはつらい。まして今回のコロンビアは、エースのMFハメス・ロドリゲスが故障上がりということもあって、4年前ほど強くない。
一度は追いつかれた日本だったが、後半に2点目をあげて勝ち越しに成功する。かくて、ドイツを1対0で倒したメキシコに次いで、今大会2度目のジャイアント・キリングが実現したのだった。
それにしても、試合序盤で早々に退場処分者が出た例は、ワールドカップ史上、他にもあったのだろうか。最短のバティスタ、2番目のC・サンチェスに次いで早かったのは、イタリアの守備的MFジョルジオ・フェッリーニという選手だ。
'62年W杯のチリvs.イタリアは中傷合戦。
舞台は1962年のチリ・ワールドカップだった。試合は、グループ2に属していたチリ対イタリア。のちに『サンチアゴの戦い』と称されるこの乱戦は、試合開始前から凄まじい中傷合戦が繰り広げられていた。
口火を切ったのはふたりのイタリア人記者だ。アントニオ・ギレッリとコッラード・ピッツィネッリ。ふたりは、サンチアゴを汚らしいゴミ溜めと決めつけ、《電話は通じない。タクシーは、妻に貞節な夫と同じほど、数が少ない。電報は法外な金がかかる。人々は栄養失調で、無知蒙昧で、アル中で、貧しい。ホテルは町中で700室しかなく、周囲はすべて売春窟。チリはちっぽけで、尊大で、貧乏な国だ》と酷評した。
書かれたチリの側も、もちろん黙っていない。地元の新聞は《イタリア人の大半は、ファシストで、マフィアで、セックスのことばかり考えている麻薬中毒患者だ》と書き立て、イタリア人記者を国外退去処分に追いやった。イタリア人記者とまちがわれたアルゼンチンの記者が、酒場で殴る蹴るの暴行を受ける事件まで起こった。