野球のぼせもんBACK NUMBER
巨人、日ハム、SBと渡った仕事人。
捕手市川友也はなぜ重宝されるか。
posted2018/06/20 10:30
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Kyodo News
古巣巨人へ、痛烈な「恩返し」をお見舞いした。
6月13日のヤフオクドーム。今季開幕後にファイターズからホークスへ移籍してきた、先発マスクを被った市川友也が勝利のお立ち台に上がった。バットの方でヒーローになった。1点を追う5回1死一塁、左翼スタンド中段へ特大の弧を描く推定飛距離135mの逆転2ランを放ったのだ。
「人生で一番飛んだ打球だったと思います。ジャイアンツでは若い頃にお世話になったけど、活躍できなかった。今こうして活躍する姿を見せることができて良かったです」
少し照れくさそうに、そして控えめな口調で満員の大歓声に応えてみせた。
市川は、神奈川県相模原市出身の33歳。地元の東海大相模高から東海大に進学し、鷺宮製作所を経て'09年のドラフト4位で巨人に指名された。
じつは入団当初は打撃で評価を得ていた。目をつけたのはあの長嶋茂雄氏。「ミートも上手くて、飛距離も出せる。OK! GOOD!」とジャイアンツ球場で声をかけられた。しかし、当の市川は「そんなこともありましたね。たしかにバッティングは良い年もあったけど、そこはあまり……。打撃よりもやっぱり守備を注目してもらいたいです」と当時を懐かしんで苦笑いを浮かべる。
やはり、どこか遠慮がちなのだ。
巨人ではヒットを1本も打てなかった。
そんな性格が災いしたという因果関係の確証は持てないが、巨人では4年間で一軍通算9試合しか出場できなかった。当時はまだ阿部慎之助の全盛時代。さらに一軍ベンチには実績のある「2人の一成」(鶴岡・實松)といった実力者も控えていた時期だ。
「結局、巨人ではヒットを1本も打つことができませんでした。正直、阿部(慎之助)さんが凄すぎた。プロのレベル、プロの壁というものを教えてもらったチームでした。だけどあの時の練習は厳しく、その苦しさが今、役に立っていると思います」
'13年オフに金銭トレードでファイターズに移籍すると、一軍出場を増やした。移籍初年度の'14年と'16年に71試合に出場。'16年にはチームの日本一に貢献した。スタメン機会も多く、ファイターズでは毎年120打席以上に立った。しかし、今季は若い清水優心の台頭や、くしくもホークスから鶴岡慎也が復帰したことで出場機会を失っていた。